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2050 その時地球は 「日本のすがた」篇 (環境シンポ@東大)

さて、第二部では読売新聞社代表取締役社長(←長い)老川祥一氏をコーディネータとし、住明正教授、田中明彦教授、内藤正久氏、グレアム・フライ氏の計5名によるディスカッションが行われた。残念ながら、春の陽気に誘われて途中20分ほど夢のかなたに旅立ってしまったが、覚えている範囲で内容をまとめようと思う。

気候変動とは、社会のあり方を写す鏡である。と誰かが言った。異常気象は我々の文明発展における欠点の現れであり、冷徹な歴史認識をしなければならない。「冷徹な歴史認識」とは、これまでの人類の歩みを社会学的に、つまり、大河ドラマ風に歴史をロマンティックかつ叙情的に認識する事ではなく、一つの事象はただそれだけでは意味を持たない一つの事象にすぎず、全体を俯瞰するぐらいの目的で見つめなおすことだ、とパネラーは言いたかったのではないだろうか、と私は推測している。

さて、ここでは今話題の「CO2」が地球環境の重要テーマとして扱われたのだが、人間のあらゆる行動を低炭素化するためには以下の3つが必要である。

●全国民が価値観として認識
 これはどういうことかと言うと、排出する二酸化炭素を少なくするべきだ、という教育をし、それがスタンダードな価値観として普及する必要がある、という意味だ。私はこれに対し若干疑問である。まず、温暖化の原因が二酸化炭素にある、という命題は果たして正しいのだろうか。一時「二酸化炭素は温暖化の元凶だ」といったメディアの報道が行われたが、最近になってそれは科学的知見に欠ける、という意見も聞こえるようになった。そのような段階で、スタンダードな価値観として教育を行うのはどうだろうか。もちろん、二酸化炭素の排出を抑えるのに反対しているわけではないし、「温暖化」ではなく「地球環境」に結果的に良い作用を及ぼすのなら、やはり二酸化炭素の排出は抑えるべきだ。

●経済的ゆとり
 これはもう、そのままの意味である。低炭素化社会を目指せるのは、ある程度経済的ゆとりのある国の方が有利である。だけど、先進国が途上国をフォローすることが出来ればそれ程無造作に環境を破壊ことは無いと思うのだが、元気のいい現在鋭意発展中の国は他国の支配による受動的な発展は受け入れないだろう。経済的ゆとりを持つまでに成長する過程における環境破壊は止むを得ないものなのだろうか。

●世界に開かれたネットワーク
 世界が一つになって同じ問題にとりくまなければならない、の意。「世界」とは先進国間の世界なのか、それとも第三世界を含めた全世界なのかは分からなかったが、環境に取り組むには経済的ゆとりが必要だ、と述べていたのでおそらく先進国間でのネットワークだろう。だが、利害関係抜きでどこまでクリアなネットワークと協力体制が構築できるのだろうか。

他にも世界を一体化するためにはそれぞれの国が自身のアイデンティティの再確認や、物事を多面的にとらえる必要や、一つのゴールに向けてのシステムを構築しなければならない、などと述べられていた。「科学的知見」と「政治的意思」が重要、というビジョンはわかったが、理論の方がまだまだ不十分な感じがする。システムの再構築と資本主義経済は共存できるのだろうか。

あぁ、なんだか、環境問題に対して個人が出来ることを聞くとすごく前向きな気分になるが、国家間のレベルとなると急に懐疑的になってしまう。