Beauty & Chestnut

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教育の今を読み解く 3(教師教育研究フォーラム@早稲田大学)

教員に限った話ではないが、やはり新人が立派に成長するためには本人の芯の強さはもちろんのこと、何よりも寛容的な環境と、若手の意見も聞く姿勢を持ったベテランがいることが望ましい。

というのも、やはり新人たるもの、かなりの高確率で何らかのミスをするだろう。いや、完全無欠のノーミス新人よりも、何か実際にミスして学ぶのが望ましい。(別に私が自分自身をフォローしているわけではない。)「君は何て重大なミスをしたんだ。取り返しがつかないぞ。」なんてベテランが将来お先真っ暗説を唱えると新人は何かに挑戦する姿勢を持たなくなって保守党街道まっしぐらになってしまうが、逆にベテランの返答が「あー、いいよいいよ。保護者のクレームなんて放っておけばいいよ。」だと責任感の欠如が甚だしい。やはりここは、中間ぐらいのバランスをもって「確かにミスだったね。もう同じミスしないようにするにはどうすればいいか考えて実践してね。大丈夫、クビにはならないから。」ぐらいがベストであろう。なんだかコーチングの話になってしまいそうだが、やはり人を指導する方法というのは職業関係なしに通用するものなのだろう。だって人間だもの。(ごく稀に存在する「別にミスしちゃったけど、よくある話だしね。自分は悪くないし忘れちゃおう。」という自己愛性人格な新人は適度な時期をみて解雇して「あぁ、そういやあんな新人いたなぁ。」と回顧して反面教師として語り継いでポジティブに消化してしまえばよい。)

さて、最近話題のモンスターペアレント。学校、というシチュエーションではないが、公共性が欠如して自分(達)の事しか見えてない、という根本的なところで共通している「モンスターファミリー(造語)」を電車の中でみた。満員電車で子供が二人、地べたで横になって、母親はその子供に対して変態的ともいえる過剰なスキンシップを取り、ある程度年の離れている兄弟二人は他の乗客お構いなしに、持ってるカメラでお写真撮影会を開始。降りようとしている人がいるにも関わらず、絶対どかないという強固な姿勢。この総勢10人強の親族一同に対して注意した人がいたが、それでも聞いていなかったのは使用言語が違うらしく、理解していなかったのだろう。どこの国出身かわからないが、運悪く乗り合わせた乗客は、たった10人ほどのせいでその国に対するイメージも悪くなってしまうので、ご当地空港の出国審査員に対してモンスター輸出禁止令提案したいと思う。洞爺湖サミットで話し合ってくれないだろうか。

話が大きく逸れたが、モンスターペアレントの出現には、教師に対する価値観の変遷が関係している。以前(いつかは知らないが)、教師は上の立場である、という思想があったが、近年は保護者のクライアント化が進んだせいで、教師と生徒とその親の立場は同等、もしくはクライアント側が上である、といった考え方をする割合が多くなってきたようだ。「(大学の)推薦は必要ないですかね?」と一言言えば凶暴なモンスターも少しは大人しくなりそうな気もしないでもないが、そこまでいなかくても教員側も「謝罪」というスキル以外に「跳ね除ける」という新しいスキルを身につけなければならない時代だろう。

【追記】
個人的に思ったのだが、「昔は良かったのに最近は学級崩壊もひどいもんだ。世も末だ。」的な「あの頃は良かった思想」は正しいのだろうか。最近は誰もバイクで校内まで通学しないし、(数十年まえに比べて)窓ガラスも割られてない。教師の折檻、または生徒による教師への暴力も今やあたりまえの日常ではない。そんな無法地帯な時代を、教師は強く逞しく現代まで生き抜いてきたのだ。そんな教員のこれからの可能性を、近代の社会病理なんかに縛られずに、これからももっとエネルギッシュに生き抜いてほしい。