Beauty & Chestnut

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天才の心理学 (E.クレッチュマー)

天才と狂気は紙一重、とはよく言ったものだ。あの文豪ドストエフスキーも、鉄血宰相ビスマルクも、マホメットゲーテもカントもライプニッツも皆、狂気の淵を彷徨った人である。健全な精神状態で一生を全うした天才なんて存在しないのではないか、と思わせる。

さて、本書は精神医学者クレッチュマーによる、「天才」と呼ばれる人たちを分析したものである。(私はクレッチュマーよりクレッチマーと表記するほうが好きだが、本書はクレッチュマーと記載されているのでそれに合わせる。) 天才とは「価値を作り出す人」のことである、とここでは定義されている。価値感情を広範囲の人々に永続的に、強く呼び起こすことのできる人格の持ち主が天才であるらしい。そんな天才たちがどのような家系から生まれ、どのような精神構造を持ち、いかに人生をすごしたのか、が心理学的に、かつ生物学的に分析されている。どこそこの国にはこういうタイプの天才が多く輩出され、こういう両親の元で育った、人種は〜である、と徹底的に還元主義的に書かれてあり、若干古臭い感じがする。あまり生産的ではないが、それでも巷にあふれる「天才のつくりかた」のような商業的な内容の薄い書籍よりははるかに(読み物として)価値があり、一線を画すものである。

話をもどして、天才と狂気は紙一重。しかしその紙の薄さはきっと、サガミもラテックスも実現できないものであろう。(注:両社とも製紙会社ではない。念のため。) ここからがクレッチュマーの有名な体型と性格の分類が登場する。せっかく覚えたので、ここでアウトプットしておこう。

【肥満型】周期的な感情動揺に傾きやすい。これを循環気質という。あるときは憂鬱で、あるときは躁状態になる。第三者からみて、気分にムラのある人、である。さらに細かく分類すると、「軽躁型」「協調型」「陰鬱柔和型」が挙げられる。意味合いはそれぞれ微妙に異なるが、要は鬱状態躁状態をいったりきたりすることが多く、芸術的作品は繊細な感受性を持ち、思想が湧き出ている躁状態に出来上がることが多い。代表的肥満型として、ゲーテが挙げられている。

【細長型】肥満型とは対照的に、貧弱な体をもつ細長型は高尚な感覚の持ち主で、自閉症に傾く要素がある。孤独であることを好み、愛嬌があまりない。よくいる、細身で気難しい人である。分裂気質を持ち合わせる。ヘルダーリンが該当。

【闘士型】肥満型や細身型のような細やかな感受性に欠けるが、生真面目で堅実で静かで用心深い。創造性はあまりないが、研究力と徹底さに長ける。刺激にたいする感受性が少ないため、心が揺らぐことが少なく、健全な判断力に恵まれる。

私の体型は**だから、〜型の才能があるのね!と早とちりしてはいけない。ここで述べられているのは、あくまで天才を体型で分類しているにすぎない。(が、やはり、天才でなくともそういう傾向が少なからずあるのも事実かもしれない。) この分類は本書のハイライトなので取り上げてみた。

とにかく、天才と呼ばれる人たちは病んでいる。人には、病まなければ達することのできない境地というものがある。徹底的に考え、答えが出ない問題や疑問に悩み、強い衝動に抗い、またはそれに屈し、姿のみえない不安におびえ、概念を多く持ったがために神経が繊細になって苦しみ、普通の精神生活を送る人たちをうらやましく思い、そして、彼らを嫌悪する。常識を疑い、理解者もあまり得ることができず、孤独で不安定である。自身を冷静に観察することができるものの、だからといって精神的興奮が収まって心に永遠の平和が訪れるわけではない。循環気質においては、繰り返される欝と躁状態。時には自身の内部に存在する支離滅裂な世界に生きる事もある。天才は、人より多くの、それも普通の凡人が何人いてもかなわないぐらいの多様な精神生活を生涯のうちに送ることとなる。わずかにおとずれる安定した状態、若干落ち着いた状態、または軽度の躁状態時に、類まれなる珠玉の作品が生まれ、おどろくほど冴えた一面を見せる。

まぁ、何でも良いが、私は凡人でよかった、と心のそこから思った。