Beauty & Chestnut

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孤独な散歩者の夢想 (ルソー)

シラフでは、絶対に読めない本がある。真夜中の静まった時間(それも、最後に誰かと会話してから数時間たった頃が望ましい)、少しアルコールを含んだ状態で、なんとなく陰鬱な気分に浸りながら、文章を頭の中に流すように、読む。BGMは、サティ。特にこだわりがあるわけではないが、完全に音がないのもつまらない。しかし、思わず耳を傾けてしまうような音楽ではいけない。昼間の自分から見れば、実に馬鹿げていて、ただ感傷に浸っているという以外に形容の仕方がないのだが、そうすることでより深く付き合える本があるのだ。無人島に三冊の本を持っていくなら、一冊はそういう本を選びたい。

私は正直、ルソーという思想家が好きではない。自分の両親がエミールに耽溺して私を育てていたなら、実に私はつまらなく味気ない人生を送っていたか、派手に反発していたかのどちらかだと思う。自然のままに生きよ、とはいいながら、生命というか、人生のエネルギーそのものである官能を否定するのに納得がいかず、彼はよほど残念な青春時代を送ったのかと思いきや、実はそうでもないらしい。情欲を欲するのは、生きる意思そのものだ、という私の意思と大きく反している。理性の発達においても、早いのも遅いのも、個性ではないだろうか。一概に遅い理性の発達ばかりが善ではない。

彼、ルソーの生い立ちや思想については、ちゃんと研究している人がどこかで本とかウェブという形で発表しているだろうから、そちらを参照していただきたい。(私は勢いに任せて好き勝手に述べるが、間違っていることも含まれている可能性も大いにあることを一言断わっておきたい。) 質素で簡潔な田舎暮らしよりも都会の混沌が好きだ。自分の欲望にも、可能な限り素直に向かい合いたい。そういうわけで、エミールが嫌いなのである。自然に育てるように見せかけて、結構人工的な教育論である。

さて、そんなルソー嫌いな私がこの「孤独な散歩者の夢想」なぞを読もうと思ったのは、単にタイトルに惹かれたからにすぎない。しかも、岩波文庫の青帯で、価格も安いし、読まなければ読まないで本棚のインテリアになるだろう。そういった軽い気持ちだった。きっかけは何だって良いのである。ところが、開始一行目にして、完全にやられた。もう、言い訳が出来ないほど、完敗なのである。

「こうしてわたしは地上でたったひとりになってしまった。」

本を夢中になって読んでいると、景色が見えることがある。字を読んでいるはずなのに、映画を見ているような感覚で物語が見える。そして、ページを知らないうちにめくっていて、何かの拍子にわれにかえる。見えた物語と、そこまでの内容が一致していることから、私の残念な妄想(白昼夢)ではないと判断しているのだが、そういうことはある程度その本を読み進めてから起こるものである。今回は、完全に違った。地上でひとりになってしまった、というくだりから私は、吹雪の後の平原、それも周りには人も家もなく、ただひたすらに満月がきれいな夜を想像し、そこに私が立っているのだ。悦に入った。ジンメルレーヴィットも、あらゆる「関係性の哲学」云々が消失し、地上には文字通りわたし一人なのである。(ちなみに、内容に関して補足しておけば、ルソーが地上で本当に一人になってしまったわけではない。)

実際、この「孤独な夢想者の散歩」は昼間の凡庸な精神状態時に読むとただの被害妄想気味な文章がつらつらと書き綴られているだけだが、初めに言ったとおり、夜のアルコールのお供として、格好のパートナーになるのだ。そして、ボジョレー解禁の今こそ、なんかそれらしい気分になりながら読むベストシーズンなのである。