Beauty & Chestnut

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Bar

初めてBarというものに行ったのは、確か二十歳そこらの春か初夏だっただろうか。所用で宮崎の家に帰った時、近所のシェラトンホテルのBarを予約し、一人で行ってきた。特に行楽のシーズンではなかったので、予約する必要が無い事はわかっていたが、なんとなく予約した。思えば、Barに行く、という行為がある種の大人への通過儀礼のような印象を抱いていたあの頃、電話をして自分の名前でリザーブすることに、何らかの達成感があったのかもしれない。

当時持っていた服の中で一番大人っぽい黒いワンピースを着用し、白地にバラの柄のあるカーディガンを羽織っていった。どきどきしながら自転車に乗り、松林の香りと、温かい風が心地よく、あぁこの瞬間が続いたらなぁ、なんて思いながら目的地に向かった。

どうでもよいが、私は松の木が好きで、雨上がりのしっとりした空気の中で嗅ぐ松の香りは絶品だと思っている。今でも時折、松の香りをかぐと、宮崎を思い出し、ちょっとだけセンチメンタルな気分に浸ることがある。松の匂いって素敵ですよね、と言っても、松の匂い自体知らない人が多い。どんな匂いですか、と聞かれても、「郷土的な香りです。」としか答えられない。宮崎に住む前はずっと大阪に住んでいたので、あまり”郷土的”な思い出が無く、(もちろん大阪が郷土なわけだが)私が郷土という言葉に抱くのは都会には無い自然や田舎的な温かみであり、それが宮崎での松林であった。「郷土的」という言葉は個人個人で違うものであるが、田舎的な温かみというイメージは大方一致していると思う。

さて、シェラトンに着き、エレベーターで(確か)40階ぐらいで降りた。受付で名乗り、窓側の席に通された。明るければそこから水平線が見渡せただろう。私が行ったのは夜だったため、窓から見える景色は、あたり一面暗闇である。この何も見えない窓側に、ものすごい魅力を感じた。包み込むような闇に、安心感があった。六本木ヒルズから見下ろす宝石のような夜景も好きだが、こういった何も無く、ただ「無」である夜景(と呼んでよいかわからないが。)もまた一興なのである。人工的な虚飾はなく、自然の表現する雄大さ。何も無いのが、かえって良い。中途半端に1つでも灯台でもあれば、それはもう、”完全に”失敗なのである。

イカか何かのカクテルを頼み、ジャズの生演奏までの時間をつぶした。居酒屋で出てくるカクテルとは値段も味も全く別物で、これが本当のプロの仕事なんだよなぁ、なんて生意気にも思った。(居酒屋での楽しみは飲むことよりも話して盛り上がる事にある。) 生演奏が始まり、あたりの空気が変わった。私はこの、生演奏によって満たされた空間とBarに来ている自分に酔いしれ、音楽が頭の中に溶けていくような感じがした。生々しい感覚がそこにあった。

演奏が終わり、Barの人が「何かリクエスト曲があればこの紙に書いてください」と言って、紙を席に置いていった。せっかくなので、何かリクエストしようと思い、バードランドの子守唄、と書いて渡した。しばらくして、本当にバードランドの子守唄が演奏された。おぉー、と思った。それ以来、しばらくは携帯の目覚まし音はバードランドの子守唄に設定していた。子守唄が目覚まし音であるが、問題なく起きることが出来た。

Barで過ごす時間というのは、本当に極上のものである。先日Barに行く機会があり、ふと宮崎でのBarデビューの事を思い出した。