Beauty & Chestnut

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夢のあと 〜長崎 丸山〜

今朝、東京は快晴だった。最高の旅立ち日和である。

旅の始まりは、飛行機がいい。
滑走路の隙間を埋めるように存在する緑地に生えるシロツメクサが、風になびいている様子を伺えた。すぐそばを飛行機が通る、という危機に瀕しているのを知っているのか知らないのか、その白い花は無邪気に遊んでいるように見える。雲ひとつない空に対して、あたかもシロツメクサは空から緑地にちょっと降りてきた小さい雲のようである。花言葉は"約束"と、"復讐"。

滑走路の整備士さんたちが手を振るのを見ながら、遠い長崎の地に思いを馳せた。

空の旅は快適だった。気流の乱れはなく、見えない高い透明な山を、飛行機が走っているような感覚。機内放送でイタリアオペラの特集があり、聞きながら小林秀雄を読む。彼のモーツァルトの考察は見事の一言である。モーツァルトを主題に持ってきながらも、時折人間全般の考察に及ぶのは、さすが小林秀雄。読んでいるうちに、いつのまにか熟睡。気がついたら長崎空港

空港に着いたら、でっかい長崎ちゃんぽんとカステラがお出迎え。(とびうおが入っているように見えるのは気のせいだろうか・・・。) ちゃんぽんに比べてカステラのつくりが少し貧相である。



そのままバスにのり、ホテルへ向かう。

九州には本州にない独特の雰囲気がある。昔住んでいた宮崎と、今いる長崎は地理的に距離があるものの、何か共通するものがある。ヤシ科の木が多いこと、建物が低いこと、流れる時間がゆっくりしていること、コンビニに駐車場があること、挙げればきりがないが、私は九州が好きだ。

バス停からホテルまで徒歩5分のはずだったが、20分ぐらいかかった。あえて遠回りするのがスローライフロハスなのである。私は知らない土地では”あえて”直行しない。出来ないわけではない。断じて。

チェックインして荷物を部屋に置いた後、腹ごしらえをするために中華街へ。昼過ぎだったため、一部のお店が準備中になっていた。空いていた中華レストランで炒飯とマーラーカオを食す。そのまま丸山方面へ。

丸山はかつて、遊郭があったところだ。現在もその名残なのか何なのか、一部歓楽街として機能している。どこにいっても、規模の違いこそあれど歓楽街の風景は同じである。一度京都の祇園に訪れたことがあるが、イメージしていた由緒正しき祇園はほんの一部であって、その一部を除く歓楽街としての祇園はつまらない歓楽街でしかなかった。これには心底がっかりしたのを覚えている。大衆向けの歓楽街には個性はない、と経験則を導き出した。宮崎も長崎も、東京も京都祇園も。ただ、都会の方が、看板の写真の女の子がかわいい気がする。

話がそれた。現代の歓楽街の話はどうでもいい。丸山にはかつて、思案橋という橋が存在した。この橋を越えて遊郭に向かうのである。現在はその橋の記念碑(実物ではない)のみ、存在する。

思案橋から近いところにある見返り柳

思案橋という名前の通り、遊郭に向かうか向かわないかを思案し、遊郭帰りの男性は見返り柳で遊女を思って何度も振り返ったそうな。男性にとって遊郭は夢の世界であるが、女性にとってはどうだったのだろう。確かに、終身雇用制が成り立っていて、良い衣装を身にまとうことができる。しかし、実態は想像を絶するような苦界だったのではないだろうか。私は遊女の歴史を女性の忍耐の歴史と見る。というのも、選択肢が少ないのは決して幸せな事ではないから。大半の遊女が親元から金銭と引き換えに売られてくるが、一度花町の世界に入ったら、よほどの幸運にめぐり合わない限り、ぬけだせない。ほとんど休むことが許されない、肉体労働の世界。半強制的に積み重なっていく借金。そんな中で、手練手管を発達させた女性たちは、たくましい。しかし、現代人の私から見れば、少し悲しくもある。(時代設定は違うけれど)永井荷風の描く世界は、やはりどうあがいても男性の目線で描かれている感じがぬぐえない。(しかし、それが永井荷風の持ち味であって、私はその世界が好きだ。)

どうでもよいが、この時代(江戸)に生まれた技術が現代の床事情でも普通に使われているのが、(一部の)人間(男)ってアホだよなぁ、と微笑まずにはいられない。(何言ってんだかね・・・。笑。)

丸山にある梅園身代わり天満宮。この狛犬さんの口の中にはキャンディがお供えされているが、これは歯痛を和らげるためであるらしい。私はこの狛犬さんが虫歯にならないのかが心配だ。

中の茶屋。遊女富菊が奉納した手水鉢。

さて、明日はいよいよ軍艦島上陸だ。