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個人の尊厳

今日は東大の連続公開講座の最終日だった。1限目の法の特異性の講義は絶対に聞き逃したくなかったので、ドラムレッスンはお休み。時間に余裕を持って安田講堂へ。

法の特異性というテーマで語られたのは、法には特異性を排除するものと多様性を抱擁するものの2種類ある、という事だった。法哲学の教授らしく、「僕は、六法はほとんど見ません。」という発言が興味深い。東京大学では法哲学というのはどれくらいの比重がおかれているのだろうか。まさか法学部法哲学科として存在しているとは考えにくい。しかし、私は法哲学はすべての法に携わる者(学部生ではなく、広義の意味で。)のたしなみだと思う。法”哲学”というとなんだか胡散臭いものとして扱われることが多い(ような気がする)が、哲学自体はあらゆる学問につながっている。文系であれ、理系であれ、考える方法または思考の作法として、視野を広げるツールとして十分に役立つので、もうちょっと市民権を得ても良いのではないだろうか。

さて、特異性を排除する法として、過失責任、損害賠償額算定基準の定型化、わいせつ性判断における正常人モデルが例に挙げられていた。過失責任についてだが、過失とは注意義務違反を意味する。その注意義務違反の”注意”をどう定義すれば良いかを考える上で、ある程度基準化が行われている。これにより、原告が立証しやすくなったり、活動萎縮効果が回避できたり、メリットがある。ただ、すべての判決がうまくいったわけではなく、隣人訴訟や名古屋日赤病院事件など、疑問点を多々残すものもある。

名古屋日赤病院事件に関しての井上氏(講師)の解釈が、興味深かった。この事件について簡単に説明すると、ある元看護師(女性)が癌にかかったが、当時は本人に癌の告知は行われていなかった。しかし、だからといって放置するわけにはいかないので、医師は病名は告げずに(ただし、癌の発生している箇所に炎症がある可能性がある、とは告げている。)検査入院を勧める。検査入院を勧められた女性は、ちょうどその頃職場の旅行が近かったため、「炎症程度なら検査をしなくても大丈夫だ」と考え、検査入院をせず。旅先で急に悪化し、そのまま帰らぬ人となった。

井上氏は、癌を告げないのは結構だが、これは中途半端なパターナリズムである、と強く批判。病院側には強制的にでも検査させる義務があった、という。ちなみに日赤病院事件の原告は亡くなった女性の夫であり、彼は「せめて家族には病名を告げてほしかった。助かるはずの命が助からなかった」といった主張をしている。これについて病院側は「検査入院をすれば家族が見舞いに来る。そのときに病名を告げるつもりだった。」と発言している。

結果は原告(夫)の敗訴だが、私はこの判決は間違っているとは思わない。まず、病院側は病名を告げていないとはいえ、検査入院を勧めている。この時点で、彼女には「検査入院する/しない」の選択肢があった。なおかつ、元看護師である点を考慮すれば、どういった症状であれば検査入院が必要なのか、そして検査入院の重要さをある程度知っていることが期待される。病院は彼女に旅行に行くことを強制していないし、検査入院を勧めるという義務を果たしている。次に、家族に病名を告げなかった件に関しても、(検査入院を勧められてから亡くなるまで期間が短かったのが悪かったのかもしれないが)当の家族が一度も病院に来ておらず、医師は原告と面識がない。

毎日たくさんの患者さんを診察している医師が、家族に連絡するという事まで出来るだろうか。病名を告げないのなら告げないで、徹底して、家族に連絡を取ったり、旅行に行かせなかったりして、検査させるべきだった、と氏は仰るが、これは個人の判断をあてにしないものとしている点で、憲法の個人の尊厳を犯しているとは言えないだろうか。私は、これこそ行き過ぎたパターナリズムだと否定する。彼女は適切な判断を出来なかったが、あくまで旅行には自分の意思で行っている。これは否定できない。

まぁ、他人の事をとやかく言うのは好きでないのでこれ以上は言及しない。それに、妻を亡くした夫の立場になって考えれば、今度は逆に、判決が無情なものに思えてくる。あちらを立ててば、こちらが立たず。法は万人のものではないのだよ、きっと。