Beauty & Chestnut

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三酔人経綸問答 (中江兆民)

おもろい!!

私は、こみ上げてくる笑いを必死に堪えながら読んだ。とにかく、痛快である。いや、明確な答えが提示されるわけではないから、”痛快”という表現は適切ではないかもしれない。しかし、この爽快な気持ちは何だろう。何度読んでも、それは変わらない。はっはっは。いやぁ、実に愉快!!

あらかじめ一言断っておくと、本書は巷にあふれるコメディ本ではない。れっきとした思想本である。出版されたのは明治20年。今から100年以上も前のものなのに、新鮮さが失われていないのは、なぜだろう。

南海先生は生まれつき酒が大好き。生まれつき酒が好きって、一体何歳から飲んでいたのだろう、というツッコミはナンセンス。地理に弱いところも、愛らしいではないか。酔いがまわってくると精神がたかぶり、思想がわきおこり、世界の進路や社会の方針について熱く語りだす人物である。そんな南海先生のもとに、ある日2人の客人が酒を携えてやってくる。一人は着物を洋風に着こなし、鼻筋が通っていて目元が涼しげで、思想という部屋で生活している哲学者のような人物。もう一人は対照的で、武骨な感じがし、いかにも冒険を好みそうな人物である。南海先生は前者を紳士君、後者を豪傑君と呼ぶことにした。

さて、二人の客人の目的は、それぞれの世界の形勢についての考え方を南海先生に批判してもらうことである。先に紳士君が自論を展開する。紳士君曰く、人類の歴史は、無秩序な時代を経て君主・宰相による専制制度の時代に入り、立憲制で少し改められ、民主制へと移り変わっていく。進化の神は人類が民主制を採用することを望んでいて、その民主制こそ最も素晴らしいものだと説く。国民すべてに、政治に参加する権利、自由に意見を述べる権利、財産を私有する権利、好きな事業を営む権利など、およその権利を持たせてこそ、人間は人間らしく生きることができる。また、あらゆる文化や学問は、自由が保障されているときに発達する、と説く。それについてはハイエクの「隷属への道」で似たようなことが述べられているので、近々書評でも書きたい。さて、軍事についての紳士君の見解は、性善説に基づいたものだと私は思う。要約すると、本来地球上の土地は共有物であり、国境というのは便宜上のものにすぎない。A国に生まれたからA国人であるが、B国に移ればB国人になる。他国同士の憎みあいなんて、実につまらないものではないか。(いわゆる)軍備を撤廃し、自由を軍隊とし、平等を要塞とし、博愛を剣とすれば良い。もし他国に攻められても、こちらには仁義があり、どちらが道理に反しているかは一目瞭然である。すべての国が民主制を採れば、戦争というものは無くなる。というのも、戦争とは帝王や宰相、将軍の欲望によって引き起こされるものであるから。

さて、もう一方の豪傑君は、戦争はどうしても避けられないものである、と主張する。いやしくも地上に存在するすべての生き物は勝つことを好み、まけることを忌み嫌う。賢い生物ほど勇ましく、おろかな生物ほど臆病である。争いは個人の怒り、戦争は国家の怒りである。争いや戦争が悪徳だとしても、人間は本来悪徳を持っているもので、どうしようもないではないか。文明国は、戦争はするが、争いはしない。野蛮な民族は、争いはするが、戦争はしない。戦争は勇気が元で、勇気は気が元である。今まさに戦いが始まろうとしているとき、両軍の兵士は気が狂わんばかり、勇気は沸き立たんばかりの新天地。生き延びれば全軍最高の勇者であり、死ねば名前を後世にまで残すことができる。日本は現在弱国であるが、どうすればよいのか。それは他国に攻め入ることである。とある大国は、面積こそ大きく、一見立派な兵士を抱えているが、実際は脆弱であり、今こそ攻め入るべきだ。日本国内には「新しずき」と「昔なつかし」の元素が存在し、対立している。「昔なつかし」は気風が豪快で決断力にあふれ、後に引かないことを目的とする。「新しずき」はどちらかといえば、紳士君のように、技術よりも理論にすぐれていて、何事も冷静沈着で争いを好まない。しかし、「昔なつかし」の存在は国家にとって癌であるので、他国へ侵略させたりして取り除かなければならない。成功すれば「新しずき」が国を治めればよい。国土を拡大させることが出来るし、癌も取り除けるから一挙両得である。

南海先生は二人の意見を聞き、こう感想を述べる。紳士君の意見は素晴らしいものであるが、思想上の理想郷にすぎない。豪傑君の意見は勇ましいが、こういった事は過去でこそ可能であったが、現在は実行しえないものである。どちらの意見も役にたたない。また、民権には二つあり、一つは勝ち取った民権、もう一つは与えられた民権。同じ民権であっても、後者の民権のほうがうまく行くのではないか。そして、他国侵略に関しても、わざわざ人の恨みを買うのは賢いとは言えない。平和外交を心がけるべきではないだろうか。やはり、立憲制を設け、上は天皇の尊厳・栄光を強め、下はすべての国民の幸福・安寧を増し、上下両議院を設け、上は貴族の世襲、下は選挙によってとる。そして、欧米諸国の現行憲法をうまく取り入れるのが望ましい。そして言論や出版などの自由は徐々にゆるくしていけばよい。

南海先生の意見はあまりにも常識的だったため、二人の客人は少しがっかりする。国家という大きなものを語るときは、奇抜さを売りにしてはいけない、と南海先生。その後、紳士君は北米へ渡り、豪傑君は上海に渡ったそうな。紳士君の説も豪傑君の説も、どちらも大変魅力的である。お互い批判しながらも、相手の話をきちんと聞いている。対立する考えを持った人物同士の対談は、必ずしも不毛ではない。あぁ、そうか。私がこの本を読んで爽快な気分になるのは、それぞれの登場人物が、相手の意見を尊重する姿勢を持っているからであろう。いやぁ、あっぱれ。これが本当の議論である。