Beauty & Chestnut

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京都にて

翌日は昼前ぐらいにホテルのチェックアウトを済ませた。イノダコーヒーの本店でブランチをし、前衛都市 モダニズムの京都展を見に行くことに。途中、四条通の書店で人を待っていた時、売り場を探索していたら現代語訳 風姿花伝が目に入った。岩波から出ている風姿花伝を読んだことがあるが、細かいところまで掴めなかったので、この現代語訳を読んでみたくなった。棚から取ろうとしたら、そのすぐ近くに能入門のテキストが置かれてあるのが目に入り、今度は能を見たくなった。中学か高校の頃だか忘れてしまったが、伝統芸能鑑賞の授業で一度だけ能を見に行ったことがある。後にも先にも、何かの鑑賞中に居眠りをしたのはその時だけである。退屈極まりなかった能を、なぜだかまた見たいと思う。今度はもうちょっと勉強してから、見に行こう。複式夢幻能がいい。能の世界は、どのように死者の視点を描くのだろうか。

四条通りからバスにのり、国立近代美術館へ。大きな鳥居が印象的だ。そういえば、京都は景観を守るために「赤」色の使用を控えているようだが、鳥居は別らしい。現に、伏見稲荷や美術館前の鳥居は真っ赤である。一方、市街地のマックや牛丼屋の看板は気の毒なことに、赤色の代用として茶色を使用している。以前はなんとも思わなかったが、やたらこの茶色が目につく。茶色というイメージから、賞味期限は大丈夫だろうか、と心配になった。どうも不味そうである。京都という町は、矛盾を孕んでいる。永きに渡る、確固たる伝統がどうのこうのと言うわりに、たかだか赤色の使用に規制をかけるとは、どういう事だろうか。赤色の使用を認めたら京都が京都でなくなってしまうほど、この町は弱いものなのだろうか。手厚く保護しなければならない軟弱な伝統や町並みは早々と葬ってしまって、新しいカルチャーを生み出したほうがよほど生産的である。京都に介護も規制も必要ない。前衛都市を名乗っていた頃の爆発的エネルギーこそ、今の京都に必要である。そのためには、いらない条例を撤廃しなければならない。撤廃して残ったものこそ、本当の伝統である。(しかしまた、規制があるゆえに、反発する形で文化が生まれることも事実である。最近はそういう例をあまり聞かないが。)

話がそれてしまった。前衛都市 モダニズムの京都展だ。会場は琵琶湖疏水工事の着工の様子から始まり、内国勧業博覧会にまつわる展示、ワグネル指導の元によって作られた工芸品の展示、新たな娯楽として誕生した映画が京都のモダニズムの一翼を担ったこと等が紹介されていた。中でも、伊東忠太氏の図面に興味を持った。伊東忠太という人は、なかなか面白い人物である。展覧会とは関係ないが、「妖怪研究」では日本の妖怪やギリシャの化け物を、規模が小さいだの幼稚だのと、バッサリと切り捨ててみせ、「日本建築の発達と地震」では日本家屋が軟弱な木造で作られているのは地震国だから、という海外の建築家による考察を一笑している。(氏によれば、木造建築が主流なのは、単に木材が多かっただけのことらしい。)また、「建築の本義」では「建築とは何か」という哲学的問いこそが、建築に一番必要であると述べている。この問いがなくなる時こそ、建築がなくなるときである。ごもっとも。あっぱれな考察ですよ、先生!

一頻り堪能した後は近くの喫茶店でかき氷を食べて、電車で嵐山へ向かった。結構な時間だったので、あたりのお店は閉店していて、人通りも少なかった。駅を出て野宮神社の方へ向かう。すこし先に行ったところの角を曲がると、竹林が広がる。この空間が好きだ。野宮神社まで短い道のりだが、ここへ来るために嵐山に寄った。竹林に一歩踏み込めば、そこは異界である。竹に囲まれているせいか、ひんやりとしている。外界の音も遮断され、さっきまでいた世界は何だったのだろうか、という気にさせてくれる。野宮神社では、珍しく願掛けなるものをしてみた。私は普段、神社に来てこういうことをしないが、そのときはそうしたい気分だった。自己の外に何かを見立て、その対象に祈るのは、むず痒い心持がした。マレビト信仰ではないが、神は神社には居ないと思うし、願掛けや誓いを立てるのは神社じゃなくてもいいと思う。でも、形式に従ってみた。

その後、少し時間があったので、渡月橋の方に向かった。桂川の悠々とした流れと、あたりを囲むように聳える山々を見ていると、こちらまで気持ちが大きくなって、自分はあと1000年ぐらい生きるんじゃないか、という気がしてきた。大いなる矛盾である。昨日は祖母に会って、人生の短さや老い、病気について考えていたが、渡月橋の上で私は、ヘーゲルのいう絶対精神の視点のようなものを持ったと同時に、自己の肉体と精神が乖離してしまった。私は、生身の人間である。そう気付いたときには、新幹線の時間が迫っていた。