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マイクロファイナンス 貧困と闘う「驚異の金融」 (菅 正広)

誰の言葉だったか忘れてしまったが、一冊の本を読むことは一回の旅に相当するらしい。なので、その人は本を一冊読むことを「一旅」、二冊読むことを「二旅」と言う。多読ならぬ多旅をすることにより、ある地点で量が質に転化する。一つのジャンルに拘ることなく、可能な限り幅広く吸収していくことで、視野も広がるし、発想力も豊かになる。去年よりも今年、今年よりも来年。今年も私は多くの旅をして、進化していきたい。

本書「マイクロファイナンス」の旅は、とても有意義なものであった。私は「魚を与えれば一日の糧、竿を与えれば一生の糧」という言葉がとても好きで、日常生活で何度か引用してきたが、マイクロファイナンスは竿を「与える」のではなく、竿を「自ら作り出す」方法の提供であることに気付いた。それと同時に、私の中で「竿を与えれば一生の糧」を「竿を持てば一生の糧」と置き換えることにした。そう。「持てば」に変えることで領域が広がる。「与える」という言葉は慈善事業では成り立つものの、マイクロファイナンスには相応しくない。マイクロファイナンスはあくまで、貸し手と借り手は対等なのである。

■貧困の定義
「貧困」という言葉の定義は難しく、学者間でも論争が続いている。その日の食べるものに困るレベルを貧困とすれば、一般的に日本には貧困は存在しない、と言われている。しかし、それは正しくない。飽食の国日本でも、年間数十人が餓死している。貧困を測定する指標として「相対的貧困」と「絶対的貧困」が存在する。それぞれ順に説明すると、「相対的貧困」とは所得や生活費の平均値によって測定されるもので、母集団そのものの所得が低い場合、貧困の定義が難しくなる。次に「絶対的貧困」。これは生存するのに最低限のものを得られない状態で、直感的に分かりやすいが、「最低限」をどの程度に設定するのかが難しい。OECDが「全家計所得の平均の半分に満たない状態」を「相対的平均」として調査したところ、日本の相対貧困率は14.9%であることが分かった。(2008年) メキシコ、トルコ、アメリカに次ぐ世界第4位であり、警鐘がならされている。この数字だけを見れば日本は貧困大国のような印象を受けるが、あくまで「日本の平均」を基準にした数字なので、注意しなければならない。日本での「絶対的貧困」とはどのような状態なのか。憲法的視点から見ると、「健康で文化的な最低限の生活を送る権利」を行使できない事であり、そのような人々を生活保護受給の対象とし、救済しようとしている。生活保護を受ける理由は「病気・怪我」が第一位(43%)。「労働の機会そのものの損失あるいは減給」が第二位’(18%)。一旦貧困に陥ると十分な医療や教育を受けられず、自力で抜け出すのが困難になる。2chでは「生活保護を受けている人は贅沢な暮らしをしている」といった発言が目立ち、生活保護そのものに対する批判が後を絶たない。しかし、生活保護で贅沢な暮らしをしている人はごく一部である。(まぁ、実際にそのような人を見たことあるけれど、考えようによっては、新入社員の給料ぐらいしか得られないのは大いなる機会損失で、ある意味気の毒である。健康な体と時間があれば、自助努力で高給を得ることが可能な現代。私は挑戦したい。)

マイクロファイナンスとは何か
本書より引用したい。

マイクロファイナンスとは「担保となるような資産を持たず金融サービスから排除された貧困に苦しむ人々のために提供する小額の無担保融資や貯蓄・保険・送金などの金融サービス」を指す。貧困削減という社会的課題に取り組むことを念頭に置きつつ、事業の持続可能性を維持するために利益を追求するビジネスである。(中略)ビジネスの手法を活用するが、私的利益を一義的に追求する消費者金融とは異なる一方、税を財源とする補助金助成金などによって運営される無償の公共サービスでもない。(P.34)

マイクロファイナンスは世界130カ国以上で実施されていて、貸倒率は2%程度である。消費者金融の貸倒率が10%程度であるのに対し、驚異的な数字である。(消費者金融の場合、貸した相手が払えなくなっても回収する方法があるので、どこまでを貸倒率として計算するのだろうか。) お金を貸すだけではなく、貸した後、事業の進捗のフォローも欠かさない。技術指導を受けることも可能だ。消費者金融が個人を対象としているのに対し、マイクロファイナンスは5人1組などのグループを単位として融資を行う。信頼関係を礎としているため、法などの警察力には訴えない。借りた側は返済を終えたら、今度は出資者として、必要とする人に貸す側となる。善意とお金の良好な循環により、持続可能なビジネスとなっている。善意だけではビジネスとして成り立たないし、お金だけでは消費者金融と変わらない。民が担う公共である。自分の能力を活かす場と方法を得て自活することが出来れば、国による福祉の負担が減る。福祉にかかる費用を減らすべきだ、と言うのは簡単であるが、ではどのように減らすのか、という議論はまだ活発に行われているとは現状言いがたい。理想を掲げる時代はとうに過ぎていて、これからは方法が問われる時代なのである。

■これからの課題
とはいえ、マイクロファイナンスにはまだ課題がいくつか残っている。マイクロファイナンスの対象は「労働の意志があり」「労働が可能」な人である。労働の意志があっても病気や怪我などで働けない人は融資の対象にはならない。また、貧困層を対象としているものの、極貧相にそのサービスは届きにくい。技術相談や指導などの濃密なサービスを受けることが出来る代わりに、金利が高く、(返済するために)不断の努力が必要となる。多くの人が必要としているため、返済の期間が短い(通常1年以内に完済することを求められる)。こういった課題をどのようにクリアしていくかが今後を左右するだろう。

また、日本でマイクロファイナンスを導入し、活用するためにはどうすればいいだろうか。既にアメリカ、イギリス、フランスなどでは導入されていて、返済率がいずれも90%を超えており、マイクロファイナンスを運営するための様々なビジネスプランが存在する。借りた側の返済プランも事例も豊富に用意されている。こういった例から、日本で導入できない理由を見つけるのは難しいだろう。また、マイクロファイナンスにより雇用の創出を図ることが出来る。起業を促すことは潜在成長率を上げることになるし、某政党は口先だけの「雇用対策」など言ってないで、こういったビジネス手法を少し見習ってみてはいかがだろうか。