Beauty & Chestnut

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こんな日本に誰がした 日本の危機と希望 (堺屋 太一/渡部 昇一/岡崎 久彦/松田 尚士)

AmazonKindleAppleiPad。携帯で青空文庫も読めれば、PCで書籍をダウンロードして読むことも出来る。日本に電子書籍が普及するのはまだ時間がかかると思うが、読書愛好家としては非常に面白い時代を生きていると思わざるを得ない。とはいえ、どんなに書籍の電子化が進んだとしても、紙の書籍はなくならないと思う。なぜなら、人間には「物」を所有したいという欲望があるから。装丁の凝った本、希少価値または付加価値のある本、そして、表紙がぶっとんだデザインの本(笑)

これもまた、人から勧めてもらって買った本であるが、本屋でみかけても、まず私のアンテナには引っかからなかったと思う。推薦者の自由で若い感性に脱帽した。そうか、こういう表紙の本でも、まずは手にとってみなければ分からない。本が好きだ、といいながら、私は知らないうちに「見た目だけで判断して、読まず嫌い」という癖が出来ていたようである。近頃は小林某や田母神某の本もそれなりに着手してきたが、まだまだ甘かった。書店というのはある種の狩場なので、もっと貪欲に、もっとアグレッシブにならなければいけない、と自戒の念をこめて、本書の書評を書きたいと思う。

本書は堺屋 太一氏、渡部 昇一氏、岡崎 久彦氏、松田 尚士氏の4名からなる共著である。それぞれが日本の現状を憂い、苦言や提案を述べている。タイトルの「こんな日本〜」から分かるように、戦後民主主義を疑ってみるところから始まるのだが、戦後生まれの日本人が自虐史観をもっている、というのにはどうしても同意できなかった。戦争で日本は悪いことをしたと教えられて育ったので胸をはれない人、なんて存在するのだろうか?だとすれば、それは政府や学校教育の問題ではなく、自分で情報を集めて善悪の判断を出来ない「個人」の問題だ。どんなに偉くて有名な人が「日本人は悪かった」なんて言ったとしても、私達は戦争の時代には生きてなかったので、真偽判断なんて出来ないではないか。生き証人の証言の類はもっとナンセンスで、時に「何らかの悪意があるのでは」と疑いたくなることもあるほど、話し手の立場によってその話ぶりは随分変わってくる。要するに、受身なんだな。「日本人は悪かった。」と思っている人も、「日本人が悪かった、っていうのは間違っている」と思っている人も。こういう人たちは協力しあってタイムマシンでも作ればいい。私は現代を生きるから。

前置きが長くなってしまった。どうも私はナントカ史観の類とそれにまつわる議論が嫌いなようだ。その部分を取り除いて、(とはいえ、根幹にはこの史観が関わっているのだけれど)本書を論じようではないか。著者、堺屋太一氏は大学を卒業して通産省に勤めていた。その時期に「水平分業論」というグローバル経済論の先駆けとなる論文を書き、一躍有名になったらしい。簡単に紹介しておくと、発展途上国から材料を輸入し、先進国でそれを加工する、という従来の上下間のプロセスはいずれ水平となるだろう、という内容である。うむ、なかなか先見性に富んだ見解である。そんな堺屋さんは教育にも大きな問題意識を持っていて、「辛抱強さ」「協調性」「共通の知識と倫理」「個性と独創性のなさ」を重要視した結果、規格大量生産に向いた生徒を作り出し、その結果、日本人は狭い範囲に閉じこもるようになった、述べている。とはいえ、中江兆民福沢諭吉勝海舟岡倉天心など偉人と言われる過去の人達は、今よりも日本国内の枠でしか考えられないのが当たり前の時代に、世界を意識して何らかの行動を起こした。だから私は「日本に閉じこもる日本人」というのは決して教育のせいではない、と思う。現に、戦後生まれで戦後の教育を受けてきた人たちの多くは移動の自由を生かして世界各国を飛び回っているではないか。いずれ教育は「義務」から「自由意志による選択」になる時代が来ると思うし、そうでなければならないとも思う。守らなければいけないのは、「機会の均等」だけであり、その内容は自ら選択するのが望ましい。だが、私はこの堺屋太一氏に好感を持っている。教育にたいする見解こそ違うものの、「改革はやってしまえば大したことはない」「高齢化社会こそ好機」「官僚統制こそが問題だ」と言ってのける彼には大いに賛成するところがある。「情報発信機能の一極集中」はインターネットの台頭により、今後分散されると私は予測するので、安心してほしい。

さて、もう一つ興味深かったのが松田尚士氏による「企業買収の光と影」の章。グローバル化の名の下にM&Aが行われるようになった、と思いがちだが、既に日本には戦前から企業買収というものが存在したことを説く。「答えを一つだけえらぶ」という前提のもとに「会社はだれのものか」と問うのは極めてナンセンスだと思うし、村上さんやホリエモンを拝金主義だとは思わないが、本稿は短編小説として一読の価値がある。舞台は明治時代。破産寸前の鐘紡の買収を巡るドラマである。(「鐘紡」と書いて「カネボウ」と読むのはさっき知った。)

タイトルの「こんな日本にだれがした」には、サブタイトルとして「日本の危機と希望」がついている。民主党の迷走っぷり、徐々に明らかになってくる自民党政権時代の罪過と負の遺産、経済活性化案として「国債を発行してデフレを止めよう!」と言っている人が出てくるのを見ていると、日本は危機に瀕しているように思える。「希望」とは依存からの脱却と創造の意志から生まれてくるものだ。少なくとも、政治がこんなだから生き辛い、なんて言っている限り、希望は見えてこない。本書とは関係ないが、私が安藤忠雄さんに心酔するのは彼が「民間にできることは民間でやろう」という意志の元に活動しているところである。(もちろん、建築家としての彼も尊敬している。) こういう人がいる限り、まだ日本は大丈夫だと思うし、うっすらと日本に対して希望が見えてくる気がする。

なんだかんだで本気読みをした本書。

カバーを外しても、大変オシャレ(笑)