Beauty & Chestnut

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空気の研究 (山本 七平)

・日本経済を活性化させるためには、ベンチャーを支援しなければいけない、と考えている。
 →でも、自分は起業しないし、友人が起業したいといったら止める。ていうか、ベンチャーって大博打だよね。
・飲み会や合コンなどで血液型の話題で盛り上がる。「え?○○ちゃんってA型だったの〜?意外〜!」
 →でも、本当は血液型占いなんて信じていないし、人間の性格がたった4つに分類できるわけない、って思っている。
・日本人は働きすぎだ。労働時間と自殺率には相関性があると思う。
 →でも、ゆとりの価値観は許せない。お前ら、我慢って言葉知っているか?餃子の王将の研修を見てみろよ。
・「いい年なのだから、そろそろ結婚しなさいよ。」と適齢期(笑)の人に結婚を勧める。
 →え?私?聞いてよ、旦那の給料が安くってさぁ〜、・・・(愚痴が始まる。)


一つでも当てはまったら、あなたは立派な「空気中毒者」である。本音と建前の使い分けの事ではない。

■空気とは何か
KYという単語がある。もちろん、「空気読めない」の略である。その空気とは何か、を研究した人がずっと昔にいる。山本七平だ。1921年、東京生まれ。青山学院を卒業し、その後は書店を経営し、執筆活動を開始する。日本社会、日本文化、日本人を主な研究対象とし、その解読のキーワードとして「空気」を挙げる。私達が何気なく「空気」と呼んでいるものは別に最近出てきた新語ではない。さて、山本が「空気」を研究し始めたのは、ある編集者との対談がキッカケである。道徳教育について意見を聞かれた折、山本の返答に対して「現場の空気が」「そういう空気ではない」「言い出せない空気だ」と編集者が言ったのに興味を持ち、彼らの意思決定を支配する得体の知れない「空気」とは何だろうか、と思ったのである。その視点と着想はまことに見事だ。誰もが普通の事として聞き流してしまう言葉に反応し、それを研究対象としてしまう。こういった些細な視点こそが、面白い業績を残す人には必ずあるものなのである。

私達は普段、論理的に物事を考えていて、全ての決定は理性に基づく根拠のあるものだと思っているが、実はそうではない。先に述べた空気が意思決定に影響することが多々ある。論理と対を成す「空気」は絶対的な支配力をもつ「判断の基準」であり、それに従わないとKYと呼ばれる。このように私達は、論理と空気のダブルスタンダードの元に暮らしている。空気というのは時に非常にやっかいなものであり、一歩誤れば時に論理性をも水泡に帰すほどの力を持つ。空気は議論や会話を行うことで、無意識のうちに、つまり、自然発生的に醸成されるものであるが、ある種の意図を秘めた作為的な人工空気も存在する。世論の形成などがこれに該当する。この人工空気の醸成の過程を調べれば自然に発生する空気の成立過程もわかるだろう、と山本は考えた。

アニミズムとモノティズム
空気とはある種の臨在感である。そして、人間の行動や言論などを支配する空気は臨在感の把握から始まる。これは感情移入を前提とし、感情移入を感情移入として認識しないことが空気形成に必要となる。こんな例が挙げられている。古代の遺跡が発見され、そこから人骨や髑髏が大量に出てきた。必要なサンプルを採取し、残りは廃棄処分しようとして作業を行っていたところ、従事していた日本人だけに異変が出てきた。その場で同じように作業していたユダヤ人には何の変化もない。科学的な視点から見て、日本人だけに何らかの悪影響があったとは考えにくい。日本人特有の価値観が心理的影響を引き起こし、病気のような症状を呈してしまったのだ。事実、この作業が終わった頃には完治していたようである。人骨や髑髏から何らかの宗教的・心理的な影響を受け、墓地発掘の空気に耐えられなくなったのだ。もちろん、空気は日本人だけが感じているものではない。唯一の違いは空気の支配を許すか、許さないか、である。先ほどの例に見ると、ユダヤ人と日本人の違いは何だろうか、という疑問が沸いてくる。前者は一神教の世界を生きていて、神という絶対的な基準がありそれ以外は等しく相対化されている。空気が発生しても、すぐさま相対化され、その支配を許さない。かたや日本はアニミズムの世界である。この世界には原則的にいえば相対化はなく、無数の絶対化が存在するのだ。そして、ある対象を臨在感的に把握しても、その対象が次から次に移る。時間が経てば、「あの時はああだったわねぇ」と落ち着くが、また新たな対象が出現し、そのせいか、熱しやすく冷めやすい国民性を形成している。

■手当てより水をばら撒こう。
さて、話は冒頭に戻る。私はよくB型に間違えられる。その理由はマイペースだから、だそうだ。「マイペースだからB型ですよね?」なんて、およそ教育を受けた先進国の人間の発言とは思えない。誰もが血液型占いなんて非科学的だ、と言いながらも、この手の話題で盛り上がり続ける。1度や2度ではない。何度も、である。これは一種の空気だと言っても良いだろう。このような空気に対抗する唯一の手段が「水を差す」行為である。この場合だと「血液型占いなんて、本気で信じてないですよね?」で十分である。水の役割は場の空気を一瞬にして崩壊させることだ。そして、水とは通常性でもある。通常性とは正しい現状把握を意味し、冷静さを取り戻すための装置として機能する。また、日本人が働きすぎなのも、誰もが認識している。労働時間の長さが生産性向上に結びついていないことも、統計から明らかである。でも、上司が仕事をしていたら先に帰れない人が多いらしい。定時に帰るのは仕事が無い人だ、という誤認もある。付和雷同という言葉の典型的なサンプルだ。こういった空気に水を注す人が増えたら日本人はもっとハッピーになれるんじゃないかな、と個人的に思っているが、難しいだろう。なぜなら空気中毒者は空気に毒されていることすら気づいていないのだから。政治を変えるのも、日本を変えるのも、まずは各々が「空気」を客観的に見てみる必要があるだろう。水を注すのはその次だ。