Beauty & Chestnut

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恋文の技術 (森見 登美彦)

五月四日

拝啓。
守田君、お手紙ありがとうございます。慣れない能登での研究生活、なかなか大変そうですね。さぞや京都が恋しいことでしょう。私も以前、大阪から宮崎に引越しをした時、宮崎の閑散とした様子に随分と面食らいました。おそらく大阪から宮崎への移住は、京都から能登へ移ったどころの比ではないと思います。田舎での生活で何が一番堪えるかといえば、それは一重に日没後の時間ですね。特に冬のように日照時間が短い時期には精神的にも随分まいります。田舎の暗闇は全てを飲み込むような圧倒的な迫力があります。嫌でも自分の存在の小ささを痛感せずにはいられない程の迫力です。能登の暗闇がいかほどのものか存じませんが、少なくとも宮崎の郊外では現在地がわからなくなるほどの暗闇が空間を支配しています。その上、娯楽や気を紛らわすものがないので、自分と向き合う時間が多くなるわけですが、これが相当に厄介なものなのです。自分の存在意義は何なのだろうか、人生とは何だろうか、など、今で言う中二病を当時の私(高二)は全力で患っていました。もちろん、今でも完治していませんが。まぁ、このように、多感な十代最後の時期を、私は自分と向き合うことで過ごしたのですが、結局何も見つからなかったどころか、後に丸山 眞男さんの「自己内対話」というメモ書きのような内省録を読んで、自分の内省の底の浅さを思い知りました。上には上がいるように、あたりまえですが、私のような凡夫には上が限りなくいるものです。むしろ、上の方が多いぐらいです。関係ありませんが、ドイツが哲学者を多く排出しているのも、きっと日照時間が関係しているのだと個人的に思っています。暗闇と娯楽の無さは哲学者排出の要素の一つだと自信を持っていえます。いつか学会で発表しようと密かに計画しているところです。まぁ、守田君は哲学者になるわけではないので、専門であるクラゲの研究に勤しんでください。

そうそう。手紙と一緒に送ってくれた森見氏の「恋文の技術」を拝読いたしました。彼は懲りずに京都と某大学を舞台とした小説を書いていらっしゃるようで。鴨川ホルモーも彼の作品でしたっけ?マドレーヌ夫人は?よく似たタイプの作家がもう一人いて、混同してしまいます。最近は四畳半神話大系がアニメ化されて絶好調のようですね。あのアニメを私も拝見しましたが、森身氏の力量を大いに感じる作品だと思いました。第一話を見ただけではフツーの学園青春モノなのかと思ってしまうのですが、第二話で構成が飲み込めて、ちょっとゾクっとしました。あれは、一種のパラレルワールドのような世界になっていますね。ありえない時系列ですが、個人的にああいうのは好きです。もしかしたら「大学を辞めていなかった自分」や「いつぞやの彼と結婚していた自分」が存在しているのかも、なんて思ってしまいます。(やはり男性は料理上手、褒め上手が良いですね。背が高ければ更によし、です。関係ないですね。ごめんなさい。) 自己弁護ではありませんが、こういったパラレルな発想は哲学や文学などの人文分野に限らず、自然科学である量子力学や数学でもとても大事なのです。量子力学多世界解釈は有名ですし、数学の分野ではナッシュ博士がリーマン予想の証明のために、架空の世界を構築しました。そうそう、ベビーユニバースの存在も忘れてはいけませんね。だから私は大人になっても中二病を患えるのは、一種の特権・才能だと思っています。末は学者か厭世家か。なんとなく私の場合、後者になりそうな予感がします。ところで、森見氏の凄いところは、(一部の)登場人物や舞台が同じであるにも関わらず、一個一個の作品が独立しているところでしょうか。私は森身氏の作品はアニメで見た「四畳半神話大系」を除き、「夜は短し歩けよ乙女」と本書しか拝読していないのですが、森見的世界観や文体を保ちながらも、全く別の作品に仕上がっていますね。大変楽しめました。若干くどいと思うところもありましたが。今回送っていただいた「恋文の技術」は、ちょっと変わった構成になっていますね。主人公が研究室の友人に手紙を書く話なのですが、主人公が出した手紙だけを読者は読むことができます。つまり、相手からの返信を推測しながら読む仕組みになっているのですね。またしても、森身氏にはやられたなぁ、と思いました。折角なので、本書のレビューを書くときはパスティーシュに仕上げてみようと思い、PCを立ち上げた次第でございます。著作権云々などとナンセンスな事は言わないでくださいね。

なんだか、意味も無いことを徒然と書き綴りましたが、守田君の研究が上手く行くことを祈っています。

                 高等遊民 栗野美智子
能登で頑張る守田一郎君