Beauty & Chestnut

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選択の連続 映画評「IL VENTO E LE ROSE」

私は毎日早朝に起床して、コーヒーを飲みながら数学の問題を解いたり科学論文を読んだりして午前を過ごし、午後からは読書をしたり散歩に出かけたりして生活している。先日、いつもの散歩コースから少し足を伸ばして駅前のTSUTAYAに出かけ、何本か映画を借りてきた。そのうちの1本、叶恭子主演の「IL VENTO E LE ROSE」という大仰なタイトルの映画を鑑賞し、「いやぁ、世の中、お金があればこんなつまらない映画でもリリース出来るようになったのか」と感心した。これと言って内容なんかない。ただ叶恭子がイタリアの片田舎にあるパトロンの別荘にやってきて、地元の花売りの少女に出会い、封建的な家庭で育った彼女の精神を徐々に解き放っていく、というプロットなのだが、イタリアの片田舎というロケーションには不似合いなフランス印象派の音楽をバックミュージックとして流すという大失態を犯し、かつ「私は男性にモテるのよ。大事にされるのよ。」という、まさに自作自演という言葉がピッタリのストーリーを展開している。

彼女に台詞はほとんどなく、ただ最後のシーンでパトロンの男が「君のためなら死ねる。」と言ったのに対して「じゃあ、死になさい。」と返答するぐらいだ。1時間ぐらいの短い映画だから、たちが悪い。2時間以上のものであれば、最初の30分で見るのをやめていたのだけど、1時間だから「この映画の見せ場はどこなのだろう。きっともうすぐにちがいない。もうちょっと見よう。」とダラダラと最後まで見てしまった。見所が全く無い、といっても過言ではないこの映画を、とりあえず無理に評価するとしたら、唯一の鑑賞ポイントはやはり「じゃあ、死になさい。」のシーンだろう。この後に続く「人生は選択の連続なのよ。あなたが決めなさい。」的な台詞も、それなりに良かった。これはおそらく、叶恭子座右の銘にしているにちがいない、と勝手に思っている。でなければ、あのような一見楽でありながら、常に他人の批判を受け続ける生き方なんて選択できないだろう。

芸能人としての彼女が公開しているライフスタイルが事実なのかそうでないのか、はまた別の機会に検証してみるとして、自分で何かを選択・決断するのは結構な労力だ。私は他人に迷惑をかけなければ自己責任のもと何をやっても良いと考えているが、時に一般の価値観から逸脱してしまうことも少なくない。そしてたまに批判を受けるが、価値観と価値観のぶつかり合いは宗教対立のようなもので、真偽判定のようにどちらかが真で、どちらかが偽である、と決着はつかない。しかし、自分の意志の元での決断であれば、反省はしても後悔はしない。自己決定・選択の労力を払えば、他人を責める労力からは完全に自由となり、それこそ私が善しとするものである。