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使える経済書100冊 (池田 信夫)

ここ数週間ほど、私は全くニュースを見ていないし、社会系ブログも金融系ブログも読んでいない。もちろん新聞も取っていない。特に深い意味はなく、テキストとして記述された社会の出来事は一種の連載小説のようなもので、後でまとめて読めば十分に繕えるのではないか、という考えによるものだ。価値観と解釈の押し付け合いのような記事に飽き飽きしていた、という個人的な事情もある。ついでに、政治や経済がどうなろうと、私一人が生きていく方法を考えるのはそんなに難しくないだろうという妙な自信もあった、と書き添えておこう。そして、ついに先日、初対面の人の前で知識の杜撰さを披露してしまう結果となった。社会の変動というのは、事象Aが起きて事象Bが起きる、とある程度予測できるものであるが、その予測の材料となるものが無いと全く意味を成さない。設計書があっても材料がなければ何も作れないのと同様、情報がなければ自説の展開もできない。傍目から見て、完全に「経済に弱い子」となってしまった。

そこでリハビリを兼ね、読みかけて放置していた池田先生の最新刊である「使える経済書100冊」を再読し始めた。池田先生はハイエクについて造詣が深い方で、ネットや講演会などで活発に活動している新進気鋭の経済評論家だ。自由主義に基づく発言が多く、私のお気に入りの学者の一人である。ここであえて新聞やニュースでリハビリする、という結論に至らなかったのは、やはり私が「方法」や「理論」を好むからなのかもしれない。経済書といえども、その内容は新聞や週刊誌のような価値観の押し付けの延長であるものと、教科書のように理論めいたものを取り扱っているものに分けることができる。どちらのタイプの経済書なのかは著者の経歴だけで判断することは難しく、元クオンツだからといって理論的な文章が書けるのかといえば、必ずしもそうではない。そこで、信頼できる経済学者の書評を参考にしてみるか、となる。そして、最新の経済書には一例として最近の出来事を用いている場合が多い。こういった断片から拾っていけばいいかな、と思った。

本書はとても読者思いの構成になっている。「本の選び方・買い方・読み方」から始まり、「世界経済をどう見るか」「市場というメカニズム」「グローバル資本主義の運命」とテーマ毎に本を紹介しているのだが、ただの書評ではない。紹介されている本の著者の考え方と池田先生の考え方はきちんと分けて記述しているし、以前教科書で読んだけれど忘れてしまった経済学の知識との再会も果たすことができた。赤のボールペンと付箋なしでは読めない本だ。私は松岡正剛さんの書評をよく読むので、1000字程度の書評では物足りないような感じがするが、チョイスする本や言及しているポイントから、池田先生らしさが感じられて、ファンとしては嬉しい限りである。本書で紹介されている本のうち数冊は既に読了しているので、自身の感想と池田先生の感想・書評と比較してみるという楽しみ方もある。(完全に余談だが、松岡正剛さんの書評は7000字から10000字ぐらいではないだろうか、と想定している。)

本書を通読してみて、世界不況の背景や根本原因(とされるもの)一つにしてみても、あたりまえなのだが多様な説があると感じた。古い金融インフラが富の移動を支えられなくなったという説、証券化することによってリスクをヘッジしやすくなったが競争が激しくなって利益が出なくなったのがキッカケであるという説(不況が金融業界から引き起こされたとする説)、急激なグローバル化によって産業構造が変わったのが原因であるという説、数えればきりがない。おそらく、ここで紹介されている経済書は100年後には存在しないものが多いだろう。読後、にわかに残念な気持ち、つまり、自分で考えるしかないんだよなぁ、という諦観のようなものが芽生えた。しかし、「統計データ」という灯台の存在は、経済学者にとっても、経済に興味のある人にとっても、希望となるにちがいない。最後に、特に感銘を受けた一文を引用して終わりたい。

プランク量子力学を発見したとき、彼の利用した実験データはすべて既知のものだった。プランクはそういう事実から帰納によって理論を導いたのではなく、「事実に棲み込む」ことによってインサイトとして思いついたのである。(P.110 「ビジネス・インサイト 創造の知とは何か」の書評より)