Beauty & Chestnut

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上田敏全訳詩集

近頃、李賀という唐の詩人の詩集をよく読む。前から興味があった人物で、李白が天才、白楽天が人才であるのに対し、彼は鬼才と言われている。その詩は幻想的で、神や亡霊が出てくる能の世界を彷彿させるものがある。そうか、中国(唐)にもそういった面影やうつろいを描写する詩人がいたのか、と感心した。彼の詩はただの風景や人物の描写ではなく、かといって意識の流れの描写でもなく、読む者を何ともいえない不思議な気持ち、しかし決して不快ではない気持ちにさせる。視点があいまいなのだろうか。誰がどの立場で描写しているのかが把握し辛い。韻などの技巧がこらされている故の難しさではなく、表現そのものの難しさが付きまとう。文字を追うだけでは決して真意を見出すことは出来ないだろう。岩波文庫版は詩訳から始まり、その後に原文と書き下し文、単語の意味、補説が記載されている。詩訳で詩の内容を理解し、書き下し文または原文を読み、わからなかった単語の意味を理解して、自分なりの詩訳を作るというリバースなプロセスを一回だけやってみたが、これがまた骨の折れる作業である。書いてあること(文面)は理解した。しかし、作者の内的世界や観念のようなものが理解できているか不安になる。それをさらに自分の言葉にするとなると、もうお手上げに近い状態になるのだ。今回は李賀詩選の書評ではないのだが、この「詩訳」という話題に触れたいがために持ち出した。李賀については後ほど時間を割いて書きたいと思っている。

上田敏は明治7年、東京の築地で生まれた。語学のセンスに恵まれ、かつ豊富な表現力も持ち合わせ、かなり早い段階で世間から期待されていた人物である。明治とは、思想や文学や科学など、海外から多くのものが日本に入ってきた時代である。明治時代の文学のありかたや様子については簡単に「伝統の創造力」の書評で触れたので省略するとして、上田敏は、まさに時代が味方をした、もしくは時代の寵児になった、といっても過言ではないだろう。彼の業績は「詩訳」であるが、その完成度は他の追随を許さない、比類なきものである。(いずれ永井荷風の詩訳とも比較してみたいと思うが、私は漢文調が好みなので、きっと上田敏の方を贔屓目にみてしまうだろう。) 私はたまたま、これもまた岩波文庫から出ていた重版を手に取ったにすぎないのだけれど、あの林達夫をして賞賛を送らせるものだから、当然ながら只者ではない。本書は「海潮音」「牧羊神」を始めとする彼の詩訳全てを収録している。「燕の歌」というダヌンツィオの詩から始まっており、「彌生ついたち、はつ燕、海のあなたの静けき国の 頼りもてきぬ、うれしき文を。」と七五調だ。おそらく原文はイタリア語かフランス語で書かれてあるだろう。これをリズミカルに、そして豊かな語彙力でオリジナルの持つ良さを損なわずに訳しているものだから、まことに恐れ入る。

しばらく読み進めていたら、ボードレールの「人と海」という詩に出会った。全訳詩集の最初の方に収録されているのだけど、数作読めばオリジナルの存在など忘れてしまい、上田敏が作詩したものであるかのように感じてくる。その詩を引用してみたい。

こころ自由(まま)なる人間は、とはに賞(め)づらむ大海を。
海こそ人の鏡なれ。灘(なだ)の大波はてしなく、
水や天(そら)なるゆらゆらは、うつし心の姿にて、
底ひも知らぬ深海(ふかうみ)の潮の苦味も世といずれ。


さればぞ人は身を映す鏡の胸に飛び入りて、
眼(まなこ)に抱き腕にいだき、またある時は村肝(むらぎも)の
心もともに、はためきて、潮騒高く湧くならむ、
寄せてはかへす波の音の、物狂ほしき歎息(なげかい)に。


海も爾(いまし)もひとしなみ、不思議をつつむ陰なりや。
人よ、爾が心中の深淵探りしものやある。
海よ、爾が水底の富を數(かぞ)へしものやある。
かくも妬げに祕事(ひめごと)のさはにもあるか、海と人。


かくて劫初(ごうしょ)の昔より、かくて無數の歳月を、
慈悲悔恨の弛無く、修羅の戰(たたかい)酣(たけなわ)に、
げにも非命と殺戮と、なじかは、さまで好きもしき、
噫、永遠のすまうどよ、噫、怨念のはらからよ。

一段・二段の、海は見る者の心を映し出すから、その幻影に身を投じてみよう、という書き出しから始まり、三段の、人の心は海のように多くの秘め事を持っているものだ、と読むものの内面や内的世界に強烈に訴え、四段では苦しみをある種の雄大な無常観にまで昇華している。決して読後に気持ちの良いものではない。それどころか、殴られたような気分になる。殴られたことは無いが、殴られたらこんな気持ちになるのだろう、と思わせるほどの衝撃をこの詩から受けた。私は小さい頃、よくジェットスキー好きの父に連れられて大阪の海に行ったものだが、この詩を読んで頭に浮かんできたのは大阪のそれではなく、あきらかに鎌倉で見た海だった。補足しておけば、別にあの辺一帯の波が荒かったりするわけではない。むしろ平和で平穏な風景なのだけど、何か忘れようとしているもの、抑圧しているものが強烈な重石となって乗っかってくる気がするのだ。それはあたかも、中学か高校の頃によんだ森鴎外舞姫に出てくる一文、「相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我が脳裡に一点の彼を憎む心今日までも残れりけり。」のような、受け入れがたいが始終付きまとう矛盾である。