Beauty & Chestnut

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思い立たずとも北東北

湯河原美術館の記事を先に書いたせいで話は少し前後するが、今月の上旬、従姉妹の結婚式のため、秋田県に行って来た。式を翌日に控えた彼女はどのような気持ちなのだろうか、などと飛行機に乗りながら考えていたら、ふと自分が結婚するとしたらどうだろうかと空想してしまい、「家庭」や「家族」という言葉に嫌悪感を抱いているせいか、自分の作り出した空想に、ひどく心が乱れた。仮に、一生添い遂げたい男性が現れたとしても、人の気持ちは変わるものだし、何よりも共同生活の過程で相手を嫌いになるようなことがあれば、それ自体が不幸な事であるし、回りまわって自己嫌悪に陥ることは目に見えている。結婚生活とは忍耐である、と誰もが言うが、これは相手にとって失礼だし、自分自身に対して不誠実ではないだろうか。それが愛だと言うのであれば、単なる弁明である。そんな大義名分はいらないし、虚構のような生活には耐えられない。私のような神経の細かい人間は、一人でいるのが望ましい。美名に飾られた虚構の生活は別の女性(妻)に預け、お互い都合の良いときに美味しいものを食べに行き、夜景の見えるホテルでセックスできれば良いじゃないか。人生の快適な時間だけを共有すれば、美しい思い出を積み重ねる事が出来るのではないだろうか。そういう結論に至り、いよいよ気分は重く、秋田空港に付く頃にはぐったりしていた。

結局のところ、自分には人を愛する才能はないのだろう。秋田に行く数日前に、結婚式で親族代表のスピーチを頼まれていたので、その原稿を書く為にエーリッヒ・フロムの「愛するということ」という本を読んだ。愛とは技術であり、現代人はその技術を磨くことよりも、ひたすら愛されることのみを望んでいる、という事を指摘している本である。本文から少し引用し、そこから、お互い支えあい、愛するとはどういう事かを考えながら結婚生活を送ってください、という内容に仕上げたのだが、親しい従姉妹への祝福の気持ちがこもっている一方で、これほど空虚な言葉は無いと思った。気分転換の必要を感じ、ホテルにCIして、すぐに出かけた。5分ぐらいのところに平野正吉美術館があり、レオナール・フジタの絵画を見た。彼は裸婦像と猫をモチーフとした作品を多く描いたと言われているが、平野正吉美術館では猫の画はあっても、裸婦像は見当たらなかった。マドレーヌ夫人やアトリエを描いたものが多く、フランスに留学していただけあって、その作風は日本画とは一線を画する。とりわけ迫力があったのが、「秋田の行事」という作品で、365×2050(単位:cm)の壁一面に描かれた風俗画だ。これだけの大きな作品を短期間で仕上げただけあり、その筆遣いは荒々しく、遠近法も厳密ではない。しかし、アフリカの音楽のような土着的、原始的強さが感じられ、しばらく見入った。私は日ごろ感じている、自分自身の中に存在する「無常観」というものをマガイモノだと思っていて、その最たる理由が無常に対する「常」を自分は理解していないから、と結論付けている。風俗画には「生活」そのものが描かれており、これが「常」ではないだろうか、など考えた。

美術館を出た後、近くの露店でババヘラアイスという物を買って、食べてみた。ジェラートのような食感で、かき氷のシロップの味がした。真夏だったら軽く2つは食べられそうだ。後日この「ババヘラ」という言葉の意味を調べてみたら、おばさん(ババ)がヘラでアイスを盛ってくれるからで、若い女性が盛ったら「ギャルヘラ」という名称になるらしいことが分かった。男性が盛ることはないらしい。身も蓋もないが、分かりやすく、浸透しやすいネーミングである。もしかしたら、京都の「おばんざい」も、おばさん(おばん)の作ったお惣菜、が語源なのかもしれない。食べながら近くの公園を散歩し、その後は平田篤胤のお墓に行った。秋田大学の裏側の細い通路を入り、階段を上ると墓がポツンポツンと存在していて、その中心部にあるのが平田篤胤の墓である。彼は、死後の魂の行方が分かってこそ心が安定し、学問に専念できるという思想の持ち主で、その行き先は黄泉の国である、と唱えていた。彼の魂が今、黄泉の国にあるのかないのか、は私には分からないが、あればいいな、と思う。なくても別にかまわない。そんな事を不謹慎にも彼の墓前で考えていた。しかし考えても、分からないことである。

夕食に生牡蠣を頂き、ホテルに戻った。父と同室だったので夜は鼾で眠れないだろうと思っていたが、予想外にも静だった。その静さは、父は年をとったのだな、と私に思わせるのに十分だった。同じ部屋で寝るのは何年ぶりだろう。つまりは、最後に家族で鹿児島に帰ってからと同じ年数になるはずだ。父の寝ている姿を見ていたら、以前より一回りほど小さくなっているような気がしたが、本当に小さくなったのか、私がそう感じているだけなのか、あえて考えることはしなかった。そこに中年男性の哀愁のようなものを見出したりしたら、その晩私は眠れなかっただろう。しかし、年をとっているのは事実である。また、北東北という場所は、そういったある種の物悲しさを一層強める所なのである。