Beauty & Chestnut

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記憶の中で歩く神戸

先週末ぐらいに注文していた観音屋のチーズケーキが、昨晩、配達指定時刻より随分おくれて到着した。今朝、冷蔵庫から1つ取り出し、オーブンに入れた。表面のチーズが少し溶けるぐらい、だいたい2〜3分温めるように、と説明書に書かれており、オーブンの仕様上、タイマーを一旦15分に設定し、それから3分に合わせた。しばらくすると、チーズ好きにしか分からない、あのチーズ特有の少しむっとするような油っぽい香りが、生地の甘い香りと程よく混ざり合いながら漂ってきて、私はふと、観音屋本店で初めてこのチーズケーキを食べた時の事を思い出した。店内のシックな雰囲気はもとより、階段を下りる時のきしみ具合、ソファのテクスチャからナイフとフォークの重み、コーヒーカップの温かさやコーヒーの苦味、案内された席のテーブルが膝ぐらいの高さまでしかなくて少々難儀したことなど、単なる出来事の羅列としての記憶だけではなく、感覚や質感までもが鮮明に蘇ってきた。しばらく観音屋の回想に浸っていると、その日全体の事まで思い出してきた。記憶というのは、手に負えない、自由奔放な存在である。私が意識して思い出そうとしても全く反応しない日もあるし、するつもりが無い時に勝手に頭の中に出てくることもある。そして、一旦頭の中に出てくると、細部まで勝手に再現するものだから、何も手がつかなくなる。しかし、とくに急ぎの用事がなかったので、私は再現されつつある記憶と主観の世界に浸ることにした。それはそんなに遠い昔の事ではなく、かといって最近の事でもなく、「少し前」と形容するには幾分かの心理的隔たりがあり、同日開催されたイベント名を持ってくるとなんだか感傷的になり、しかし「7ヶ月ほど前」と描写するにはあまりにも無機質すぎて、どのように記述しようか悩んだ挙句、以降は「あの日」と表記しようと思う。

あの日、三宮だったか元町だったか忘れてしまったが、どちらかの駅で降りて、町並みを一目見て札幌と丸の内を足して割ったような景色だな、と思ったのを覚えている。買い物好きな女子なら理解しやすいと思うが、マルイには遠くから見てもマルイだと分からせる独特の雰囲気が外装にあって、そのマルイを縮小したようなビルがいくつか並んでいて、都会を模倣したような、だけれども必要以上に計画的で几帳面に整えられた町並みが、私に「札幌と丸の内を足して割ったような」印象を与えたのだ。港町がどうのこうのという歴史的な解説を聞いたのだけれど、そちらの方はすっかり忘れてしまった。商店街のようなところと通り抜ける途中、大丸か高島屋か、何かデパートがあって、「あぁ、この雰囲気、梅田にも似ているな」と思った。開発の進んだところにも、そうでないところにも、それぞれ必ず何点かの共通点があり、それらを直ぐに結び付けて連想してしまうせいか、土地固有の印象を把握しにくい。神戸といえども、こうして札幌と丸の内と梅田が相互にリンクしてしまうので、一般的に言われている「神戸らしさ」が瞬時に拡散して攪拌し、最後には「(固有名詞としての)町」よりも「そこで何をしたか」が私の中で重要になってくる。辞書的な情報は覚えていないが、身体的感覚を頼りにこの日歩いた道のりを忠実に再現できる自信がある。もっとも、これから暑くなるので、訪れる機会があったとしても観音屋までのショートカットコースとなりそうだが。

駅から少し歩いて、イーエイチバンクという名前の元銀行を改装したレストランで昼食を取った。元銀行といっても旧居留地なので、建物の造りは日本のそれとは随分違う。以前オーストラリアのブリスベンに滞在していた時に何度か銀行に訪れたが、そこと同じ香りがした。敷地自体は特別広いわけではなく、重厚感のある内装だが、天上が高いので開放感がある。多分イタリアン系統のレストランだったと思うが、どちらかといえば、イタリアンよりもフレンチが、ポップスよりもクラシック音楽が似合う場所だ。しかし、ベタな「伝統」に固執することなく、現代性を取り入れることで重苦しくない雰囲気を醸し出している。その後、メリケンパークにあるフィッシュダンスという、安藤忠雄さん監修のオブジェクトを見に行ったのだが、安藤ファンを名乗っている手前、期待していたほど感動が無かった事をどう誤魔化そうかと悩んだ。変な顔の人から「変な顔」と言われて、何か気の利いた切り返しはないものかと考えていたが、それ以上に頭を使う必要のあるオブジェクトである。錆具合が何とも哀愁を誘うではないか。潮風に晒されることは事前に分かっていたと思うのだけど、こうも手入れがされていないと、本来であれば生命力が漲る躍動感のあるポーズなのに、死んだ魚が無理やり曲げられているように見えて、なんだか悲しい。その時丁度小雨が降っていたので、一層悲哀感が膨らんでいく。博物館前で少し雨宿りして、遊覧船に乗った。波に揺られること数分、港町にありがちな重工業特有の、不快ではないのだけど鼻にこびりつくようなオイルの重い匂いがして、なんとなく昭和を彷彿させるものがあった。もう少し行くと、神戸空港が見えた。船のアナウンスだったか何だったか、神戸空港にまつわるご高説を拝聴している時、あの場所を空港ではなく、神戸牛専用の牧場にしたら神戸の経済も活性化されるのではないだろうか、とか思った。遊覧船にありがちな「自然を楽しみましょう」というコンセプトが一切なく、常に陸の景色が見えるので、いわゆる港町としての神戸が楽しめる内容だった、と記憶している。

遊覧船で一周したあとに先に述べた観音屋であのチーズケーキに出会う事となるのだけど、話の重複を避けるために、ここらで神戸の回想は止めておこうと思う。以上、あの日私の目で見て感じた神戸を活写してみた。特に深い意味は無い。