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栗野美智子オフィシャルウェブサイト(笑)へようこそ。ツイッターもやってます。@Michiko_Kurino

Twitter×文通=最強のコミュニケーション

ブログやSNS、とりわけTwitterの登場により、私たちは不特定多数へ向けた発言が容易になった。今まで「近所のちょっとした有名人」だった人が、いつ来るかわからないテレビの取材を待たずして、ネットを駆使し「全国区レベルの有名人」になる事が可能な時代である。特定のキーワードを検索したら上位にはその分野の有名人を見つけることが可能だし、自分も興味のある分野について発言することが出来る。また、Twitterでも検索機能を使って自分の趣味や好みに合いそうな人をスグに見つけることができるし、逆に見つけられることもある。ここまでの話は、既にメディア論やTwitter論などで出回っているだろう。次にどうアクションを起こすか、である。

■意識の変容
これまでネットでの出会いといえば、胡散臭い「出会い系」や特定のマニアの集まる「オフ会」の印象が強く、一般の人にはどこか距離があって、特殊な世界だと思われてきた。しかし、mixiが普及するにつれてネットコミュニティが人口に膾炙し、私たちはネットからリアルへと、会合の場を移す事に抵抗がなくなってきた。ネットでの出会いが「出会い系」や「オフ会」を意味していた頃、私たちの通信機器は携帯が主流で、パソコンはあまりパーソナルなコンピュータでは無かった、という事情もある。大多数のパソコンをあまり利用しない人にとって、ネットワーク形成手段がほぼ「リアルの場」しかなかったのだ。それが今や、個人がパソコンを自由に使用し、さらには携帯の発達によりパソコンとの境界線があいまいになってきている。これがSNSをここまで成長させてきた理由の一つでもあろう。さて、ネットで知り合った人とリアルの場で対面することが「普通の事」となったが、どちらかといえば「対個人」ではなく「対不特定多数」であることが多い。

ここまでを時系列で記述すると、

■パソコンが登場する。まだ普及していないので、使用している人は少数。

■携帯の誕生→普及により、「出会い系」が誕生する。個人対個人だが、その目的はやや特殊である。

■パソコンが普及し始める。初期ユーザによりオフ会などが開催されるが、参加者は特定の分野に興味を持つ者に限られる。

SNSの登場。携帯の機能が進歩し、パソコンに近い存在になる。

■ネットコミュニティの成長。特定マニア向けの「オフ会」が、興味のある人なら誰でも参加できる「イベント」になり、参加の敷居が下がる。「不特定多数」の会合。

Twitterの登場。個人の発言力がさらに増し、「不特定多数」の結びつきから「個人対個人」の結びつきにも注目が集まりつつある。 ←現在ここ

ざっとこんな感じだろう。Twitterの特徴といえば、非公開設定に制限していない限り、誰でも見ることが出来る「オープンさ」である。個人的な発言や誰かとの会話はサーバに蓄積され、「私はこんな人物です!こんな事やっていて、こんな分野に詳しいor興味があります!そして、こんな人脈があります!」が(公開されている範囲で)全て閲覧可能だ。人によっては名刺代わりにもなるし、ビジネス雑誌のTwitter特集を見る限り、企業も公式アカウントなるものを作成して参加している。思わぬ物がヒットする可能性があるし、有名企業だからといってツイッター戦略が上手く行っているとは限らない。また、ユーザ数が増えた事により、日常生活では出会えないであろう人達とも知合いになる事も容易になった。私は家庭菜園に最近興味があるので今後は農家の人達ともTwitterを利用してコミュニケーションを取りたいと思っている。

■面白い人を見つけたら
「ネットで誰かと知合う事」に対する世間の意識の変容について述べていたら、前置きが長くなった。さて、知合った人は知合ったままではただの「知り合い」である。折角面白い人と出会えたのだから、親密な関係になりたいと願うのが世の常ではないだろうか。Twitter上でのやりとりは個人宛のツイートであっても対象範囲は個人ではなく、あくまで不特定多数だ。このオープンさがTwitterの特徴なので、そういうものである。個人的な話を持ち出して恐縮だが、私は「この人と親しくなりたい!」と思ったら、まず食事に誘う。大方の人も、そうだと思う。だから私は「浮気の定義」は「ビジネスアワー以外で、男女で食事に行く事」と断言しても良いような気がするが、これは賛否両論があるかもしれない。さて、食事に行くことによって得られるのは「プライベートの共有」である。普段のパブリックな人物像とは違った角度でその人を観察することが出来る。人間、正論ばかりではつまらないが、ネットで発言できるのは正論に限られるものである。誰かが決めたルールではないが、「場(ネット)の空気」というのは、まだまだ幅を利かせている。「こういう一面があったのね。」で思わぬ共感・好意を得ることがあるし、逆にそれで失敗してしまうこともあるだろう。

■文通という方法
さて、ネットで知合って親密になりたいと思っても、北海道の人が沖縄の人に食事を誘うのは難しい。そこで、文通である。私は以前ソフトウェア社に勤めていて、社内・社外を問わずにやり取りはメールで行っていた。メールは便利であるが、得られる情報は文字の情報に限られる。(もちろん、「私はこういうのが好きなんです!」と個人情報をメールで伝えることは可能だ。) 文通の場合、まずは便箋選びから始まり、どういうペンを使うか、切手はどうするか、書き出しの言葉、相手の敬称、手紙の流れの緩急、文字の美しさ。「手紙」に付与されるあらゆる事象が情報になるのだ。メールが手紙に勝っているのは「速度」だけである。人間関係の形成に速度はそれほど重要ではない。それどころか、「速度」に拘りすぎて失敗してしまうことだってある。(たとえば、知合ってどれぐらい早く付き合えるか、ビジネスに持ち込めるか、など。速度に拘って信用を得られない事が多々起こり得る。) むしろ、手紙とは「速度」を要求してはいけない、ストイックなものである。そして、パブリックな場で発言できなかった話などの私秘的な要素も持ち込める。「食事に行く」ことで実現できたプライベートの共有が文通によって可能になるのだ。継続して文通するためには、相手の生活ペースを考慮しなければならず、返信を求める事はタブーなので、「気遣い」や「おもてなし」の精神が形成されるだろう。

そういうわけで、Twitterで親しくなった人と文通するのは、時代に逆行するようであるが最強のコミュニケーションであると私は考えた。今後、手紙によってどのような人間関係が形成されるのか、検証してみたいと思う。