Beauty & Chestnut

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赤坂陰影礼賛

国立新美術館で開催中の「陰影礼賛展」に行って来た。その名の通り、芸術的な観点で「カゲ」を考え、礼賛する内容である。カゲには「物体に光が当たることによって出来るカゲ」、「光の入らない所そのものを指すカゲ」そして、さらに日本には逆富士などに代表される「水面に映るカゲ」がある。カゲは単なる物理的な現象に留まらず、ソクラテスの比喩に代表されるような哲学的・抽象的意味を持ったり、対象の凹凸を示して繊細で微小な個性を描き、時間によって姿をかえ、生き物の様に揺らぎ、影を作り出す物体以上に存在感を持ち、時には何かを主張し、またある時には見るものを幻想の世界へ誘う。「光と影」のような、単なる反対語でしかない「影」を越え、このように豊富な意味をもつカゲ。十二分にアートであることに感動した私は、その足で赤坂のカゲを探しに出かけた。あらかじめ断っておきたいことが一つ。「影」という言葉では、カゲが持つ豊穣で多様性にとんだ意味を、到底表しきれない。そういうわけで、この記事では「影」や「陰」を「カゲ」と表記しようと思う。被写体の建築物の名称については後記。

■境界としてのカゲ(*1)

乃木坂を出発して赤坂へ向かった。空は見事な秋晴れで、ウォーキング日和である。TBSの前を通り、一ツ木通りを抜ける。休日のビジネス街は観光客などのビジターで賑わっていた。青山通りから1本入ると、そこにはメタリックな建物があった。ビルとビルの狭間に存在するこの建築は、周りの風景に溶け込むことを拒否しているように見える。そのカゲは、境界線として作用している。

■ビルの水面(*2)

目的地に向かう前に、少し寄り道でも、と、青山方面へ歩き出す。丁度良い気候だったので、高橋是清記念公園で読書でもしようと思ったからだ。そこへ向かう途中、素敵な建築に出会った。澄み切った空を全面に映し出す、ガラス張りの建築。古来より日本人は水面に映る月や富士山を愛でてきた。ガラスを用いた建築は20世紀初頭にミース・ファン・デル・ローエによって開拓され、後に日本に伝わった。水面のカゲは湖からビルへ。古来より伝わる日本的情緒と技術の融合により、赤坂で見る月はきっと一味も二味も違うだろう。ふと、そんな事を思った、昼下がり。

■栄光と、カゲ(*3)

高橋是清記念公園を出て、再び赤坂方面へ歩き出す。赤坂といえば、これ。日本経済の成長の象徴ともいえる、この素晴らしい建築。堂々とした佇まいは、他の建築の追随をゆるさない。モダンな形態は、建築家の単なるお洒落心の発露ではなく、全室角部屋になるように設計されているのだ。五線譜の様に縦に長細く伸びるカゲは、建築の表情に奥深さを添えているように見えるし、この先の運命に対する憂いのようにも見える。

■威圧するカゲ(*4)

青山通りをそのまま真っ直ぐ進むと、一瞬、自分は外国にでもいるのだろうか、と思わせる建築に遭遇する。まるでどこかの荒野にある、異民族の侵入を防ぐ城壁のようだ。その荒々しいまでに頑丈なデザインによって作り出されたカゲは、物を言わずに他を圧倒させる偉丈夫のようである。

■写されるカゲ(*5)

都内を歩いていて、いつも思う。屋根も建築の一部であるに関わらず、なんと無関心な建築家が多いこと。高層ビルから一望すると、空調器やエレベータ・シャフトの頂部などの単なる物置的な扱いを受けている無表情な屋根がゴマンと存在する。そんな殺伐とした屋根事情の中、心和ませてくれる素敵な帽子を被った建築があった。そこに写されるカゲもまた、愛嬌がある。

■裏路地より、コントラスト(*6)

青山通りから半蔵門通りに入ると、時間の流れがゆっくりと感じられる静かな空間が広がっていた。気まぐれに路地を一本はいると、日の当たらないカゲの世界。そこから見上げる空は、一層明るく感じられた。光と影、光が射しこまない陰。ここには二つのカゲがあった。

(*1)元赤坂今西ビル/高松伸
(*2)草月会館/丹下健三
(*3)赤坂プリンスホテル(新館)/丹下健三
(*4)最高裁判所庁舎/岡田新一設計事務所
(*5)ワコール麹町ビル/黒川紀章建築都市設計事務所
(*6)花鳥風月会館/アデーレ・ナウデ・サントス