Beauty & Chestnut

栗野美智子オフィシャルウェブサイト(笑)へようこそ。ツイッターもやってます。@Michiko_Kurino

或る女 (有島 武夫)

私は、本を読むときは隙間時間にチビチビと読むのではなく、ある程度まとまった時間をとってゆっくりと読みたい派である。最近はあまり読書に割くための時間がとれないので、最後に小説を読んでからどれぐらい期間があいたのかさえ定かではないが、(といっても、2ヶ月は経っていないと思う。) 寝る前に気分転換に少し読もうと思ったが最後。私は二晩かけて有島武夫の「或る女」を通読した。前編と後編に分かれている本書だが、正直、前編と後編の半分ほどは、シナリオ的にそれほど面白さを感じない。しかし、有島の繊細な描写や知的で上品な文体が好きなので、読むのを止めなかった。どうオチをつけるのだろうか、と気になり始めた後編の後半あたりのどんでん返しに一気に引き込まれてしまい、読み終えた晩は眠れなかった。「悪女」とか「妖婦」と言われているヒロインの葉子だが、時代が違うせいか、彼女の男性操縦術から学ぶことはそう多くない。ただ自分の欲求に素直で、それを実現できる美貌と頭脳を持ち合わせていただけである。思うに、彼女が不幸だったのは、この点である。

彼女の最初の結婚生活はすぐに幕を閉じた。恋愛結婚であったが、同棲を始めてから夫、木部の女々しい部分が露骨に表れはじめ、次第に幻滅し始めたのだ。半月も経たないうちに葉子は失踪し、木部と別れた。しばらくして木村という男と結婚し、事業のためにアメリカに渡った彼を追う形で、彼女も船で日本を発った。その長い船旅で出会ったのが、倉地という男である。今まで彼女と縁のあった、どこか線の細いナヨナヨとした男性達とは正反対で、たくましい肉体を持った野獣のような男だ。彼に惹かれた彼女はいつも通りにタクトを揮おうとするが、なかなか思い通りに行かず、ますます彼に夢中になった。結局、アメリカに到着して木村が迎えに来てもそれに応えず、船から降りないまま、倉地と日本へ帰国することとなる。倉地は帰国後、このアバンチュールを新聞に大々的に報じられて職を失い、妻子と別れて葉子と隠遁生活を始める。失業した倉地は事業を始めるが上手く行かず、スパイ行為で日銭を稼ぐ身分となった。倉地が危ない仕事をしていることを察していた葉子だが、あまり仕事の事を話そうとしない倉地から、これ以上詮索するのは無意味であると悟り、自分が負担にならないように、とアメリカに残してきた木村からお金を送ってもらっていた。葉子の悲劇は倉地と出会ったところから始まったのではない。彼女の周りにいる男性達が簡単に操れた故、愛するに足る男性となかなか出会えなかったのが悲劇の根源なのである。決して悪意があって男性を騙していたわけではなく、彼女は彼女で必死にもがいていたのだ。倉地に出会ってからの彼女は驚くほど、そして痛々しいほど一途に愛情と情熱を注いでいたのが何よりの証拠である。 (どうも葉子を批判する感想文が多いので、せめて私ぐらいは、と思って擁護してみた。)

ある日葉子は、倉地と戯れていた時に、彼が一瞬、欠伸をしようとしたのを見てしまった。情熱はいつまでも続かないことを知っていた葉子だが、いよいよ幸せの絶頂が過ぎてしまったのだと、悲しい気持ちになった。自分には彼しかいない、彼がいないと生きていけない、と彼を深く愛していた彼女の精神は次第に病み始める。葉子には二人の妹がいたが、帰国後に隠遁生活を始めてからしばらくして呼び寄せ、一緒に生活を始めていた。自分自身の魔性を自覚していた葉子は、妹の愛子が同じ物を持っていることに気付き、取り巻きの男性達が自分を捨てて愛子の方に行ってしまうのではないかと懸念した。男性というものは簡単に操れることを知っていたので、愛子が同じように振舞えば、若い彼女には勝てないだろう、というものだ。スパイ行為をしていた倉地は警察や自分を追うものから隠れる必要があり、そのためにも葉子から距離を置こうとしていたが、それがかえって葉子の不安を駆り立てる。日に日にやつれ、衰えていく彼女。(知らずとはいえ、)人から奪ってしまったものが自分から去っていく恐怖、持って生れた美貌が衰える一方で日に日に美しく成長する愛子への焦り、自分から何も無くなってしまうという不安感。世の中が全て自分に敵対するように彼女には思えた。そう、彼女は自分自身の過去の振る舞いから、復讐されているのである。

以前心理学のテキストで、美男美女は社会的に高い評価を得やすい反面、結婚詐欺など、美貌を利用した犯罪は普通の人よりも重く裁かれる傾向にある、という記事を読んだ事がある。いかにもアメリカらしい調査だ、というのと、そもそも美男美女の基準って何だろう、と、美しく生れることは得なのか損なのかわからないな、という印象を受けたのを覚えている。「或る女」を読んでいてもそういった「美人は得ばかりしているわけではない」といった描写が多く見られ、あぁそうなのだろうな、と思った。そこら辺は美輪明宏さんの言う「正負の法則」に詳しいので、いつか書評でも書きたいものだ。

ともあれ、或る女の悲劇的なラストを読み終えた時、言いようのない恐怖と不条理さを感じた。男性にチヤホヤされるのは、微分が出来ても積分が出来ないようなものである。いつか来る人生の総決算に向け、環境がどんなに変化しても失われないものを、人は早い段階から積み重ねておかなければいけないのだ。