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ロンドン物語 メトロポリスを巡るイギリス文学の700年 (河内恵子・松田隆美 編)

不思議の国のアリスアーサー王物語、ピーターラビットやシャーロックホームズ。私が知るイギリス文学といえば概ねこのようなファンタジーや騎士道物語、探偵小説であるが、実はイギリスとは豊穣な文学的背景と作品を持つ国なのである。ロンドンオリンピックが佳境に差し掛かったことだし、競技の中継を片目に、今夜はイギリス文学について述べたい。

■可変性に富んだ文学
小説とは、ある時代に誕生した、ある形式のことである。なので、源氏物語は小説ではなく物語だ。物語と小説は、例えるなら新幹線と機関車ぐらい違うらしいが、どちらも「電車」なので、同じものであるかのように錯覚してしまう。ちなみに私は新幹線と機関車の違いを「燃料が違う」「新幹線が現在主流の電車で、機関車は昔の乗り物である」「ボディが黒か、そうでないか」以外は知らないので、上手く説明できない。さて、本書はロンドンを軸にして物語の歴史が語られている。14世紀のロンドンはイングランドの政治経済の中心であり、コスモポリタンな場所であった。経済はギルドと呼ばれる専門職の徒弟制度によって支えられており、若者をどのように立派な職人へと育てるかが重要な課題であった。このころに活躍したチョーサーの著作、「カンタベリー物語」は、若者への教訓に満ちた物語である。また、当時は活版印刷が誕生していなかったので、書物は写本によってゆるやかに普及した。写本の過程で誤字や誤植、意図的な改変や加筆が行われたが、チョーサーが書いた原作でなければ「カンタベリー物語」ではないのか、といえば、そうではない。今でこそオリジナルであることが何よりも重要視されるが、あくまで当時は人々が個人的に楽しんだり、何らかの教訓を得たり、若者を教化するという目的が果たされれば、オリジナルに等しい価値を持ったのだ。

■演劇の時代
チョーサーの時代から2世紀後の16世紀、ロンドンでは演劇が流行していた。Playhouseと呼ばれる「総合遊戯施設」では、熊や牛をいじめて盛り上がったり、ジグ踊りと呼ばれる下品な踊りを披露したり、聖書や聖人君子の話を基にした演劇などが公演されていた。これらは民衆の民衆による民衆のための芸能で、後に有名な戯曲家となるシェイクスピアはこれらに対して嫌悪感を抱いていた。おりしもその頃、公演のために借りていた土地の借地権が切れてしまったシェイクスピア一団は、これをチャンスと見て、新時代へ向けた新しい演劇とそれを公演するための場を作ることを決意した。1580年代には芝居小屋が急増したという背景もあり、差別化を求められていた彼らは大衆向け路線から離脱して都市エリートや宮廷の社会的身分の高い人向けの芸術路線の作品と劇場を作り始めた。シェイクスピアの作品は都市エリートや宮廷の身分の高い人以外にも、女性から多くの支持を受けた。ハムレットは大衆向け路線から上層階級向けへの大転換の象徴となり、彼の嫌った大衆芸能はその後衰退していった。

■ジャーナリズム文学の誕生
16世紀から18世紀の新聞は真実と虚構の入り混じったものであった。ニュースを発信する人が大衆を操作することが出来たのである。正確な情報が必要な人は、スパイや大使の手紙など、報告者の顔がわかる方法で入手していた。現代のインターネットと似ているかもしれない。民衆はコーヒーハウスなどでニュースについて語り合い、時には議論や口論をしたりしながら、情報を分かち合った。こうした背景から、デフォーの「ロビンソンクルーソー」やスウィフトの「ガリバー旅行記」が誕生した。新聞のように事実と虚構が混ざり合ったこれらの小説は、記録や旅行記のような体裁をとりながら架空の世界での出来事を本当のことのように語った。今でこそ、これら2作は創作物であることは間違いないと判断できるが、当時はあくまでジャーナリズムの一部だったのである。これが後に小説となって発展していくのである。識字率も高かったことにより、大衆読者層が確立された。

■小説の誕生
ジャーナリズム文学は、18世紀になって、物語りから小説へと発展していった。その中でも重要な1つ「ゴシック小説」は探偵小説の元となった。ゴシック小説の特徴といえば、舞台が「今ここではないどこか」である。中世の森の奥にある古城だったり、誰も行ったことがない封建制度の異国であったりする。これらの要素が「非日常感」を演出し、超自然的現象が起こりやすい場所としてふさわしいものだった。ジャーナリズム文学のように「これは事実です」といったことを述べず、また、特有の「語り方」を持つのが特徴である。しかし、外国を旅する人が増えるにつれ、ゴシック文学の舞台は変わっていった。これまで「誰も行ったことのない国」が「多くの人が行って、もはや珍しい異国ではなくなった国」になるにつれ、舞台は宇宙空間へ、そして人間の頭の中へと移っていった。「物理的隔離」から「情報の隔離」へのシフトである。言い換えると、未知の国がなくなってしまった今、未知の領域として人間心理を描くのが主流となったのである。こうして読者は「非日常」から「日常の崩壊」に恐怖を感じるようになった。超常現象に合理的説明がなされるようになり、これが後に探偵小説となって発展していった。

■現代イギリス小説
ゴシック小説の変遷を経て、現代のイギリス文学はより精緻な人間心理を描くようになった。人間を外見的・社会的な面から描いてきたこれまでのアプローチとは全く逆の方法である。そして、20世紀の大事件である「第一次世界大戦」をモチーフとして描く作家が出てきた。ラドクリフヴァージニア・ウルフが有名だろう。また、人間心理の描写で最高峰の完成度を誇るイアン・マキューアンも外す事は出来ない。彼の作品は相対する概念が、実は全くの正反対の概念ではなく、常に入れ替わる可能性がある、ということを教えてくれる。たとえば、ある一つの場所が公的な場所であると同時に私的な場所となる可能性があることや、人間の臓器は個人的なものでありながらも、臓器移植などによって非個人的なものとなる。これらのテーマを熟した大都会であるロンドンを舞台に描いているのが一つの特徴である。

このように、イギリスの文学は独自の歴史を経て、読者も作品に影響を与えた「舞台も原作もあいまいなもの」から「個人的な心理描写をたくみに描くはっきりとしたもの」へと発展していった。イギリスはファンタジーや探偵小説以外にも、ジャーナリズム文学やゴシック小説、猟奇小説や戦争文学など非常に豊かな文学的遺産を持つ魅力的な国である。そういった背景を知ると、なんとなくオリンピック中継で映されるロンドンの景色が違って見えてくる気がする。