Beauty & Chestnut

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江の浦にて

2か月以上も前の話なのでどういう経緯だったか忘れてしまったが、といっても発端は恐らくただの気まぐれであることは容易に想像がつくが、スクーバダイビングの講習に申し込んだ。簡単なメディカルチェックを受け、2時間程度の座学とプール講習、海洋講習を受講し、ペーパー試験を受ければダイバーである。とは言え、このライセンスは水深12メートルまでという制限があり、観光地でお馴染みの体験ダイビングで潜れる水深と同じため、取得するメリットは特にない。もう1つランクが上のオーシャンダイバーというライセンスを取得すれば18メートルまで潜ることが可能になり、多くの人はこちらを取得するらしい。

テレビでたまに見かける青い海と綺麗な魚と、自由に泳ぎ回るダイバーの印象から、あたかも水中は非日常の美しい楽園のように見受けられるが、その域に達するまでにはかなりの経験を要する。私は早くもプール講習の段階で「ダイビングって結構怖いものなのでは・・・。」という所感を持ってしまったため、すぐにオーシャンダイバー用の講習に申し込むことは断念したが、体験ダイビングで経験を積んで慣れたらやってみようかな、程度には希望している。

人間の体は当然、水中で生きられる作りにはなっていない。二足歩行の肺呼吸で、水に浮くようになっており、泳ぐ速度もイワシに劣る。それでも海の中には美しい青色の世界が待っていることを知っているため、ボンベと自分の冷静さを命綱とし、フィンで力強くゆっくりと蹴って前に進んでいく。ダイビングでは、大体3メートル潜る毎に耳抜きという、鼓膜の内外の圧力を調整する動作を行わなければならない。重い機材。思うとおりに身動きが取れない不自由さ。波に流されながら不慣れな耳抜きを行うのは大変不安が伴う。ボンベを背負って水中へ潜ろうとしている自分は自然の摂理に真っ向から逆らっている気がした。いや、逆らっているというよりも、ダイビングという行為が人工そのものなのである。全身で感じる水圧と、耳抜き時のキュルルルという音が、体に負担をかけているように思えた。人体とはかくも、水中に適さないものなのか。

遠い昔、海から陸に上がり、再び海へ戻ることを余儀なくされた生物達は祖先の選択を恨んだに違いない。生物史上、華やかな活動こそそれ程無いものの、太古より姿をあまり変えていない両生類は人類以上に地球という環境に適していると思う。私は貝になりたいとは思わないが、両生類なら一考の価値ぐらいはある。私がボンベを背負っても、ちっとも自由に泳げないが、海を自在に動き回る魚たちは、私のように地上で生きることはできない。みんな違って、みんな良い。と金子みすゞのような詩を水中で思いつくほどの余裕は今の所、全くない。やはり生き慣れた地上は楽である。

さて、連休最終日の今日、神奈川の江の浦でダイビングをしてきた。朝の5時半に家を出て、海老名サービスエリアを通り、目的地のダイビングスポットまで2時間もかからなかった気がする。現地に到着して機材のチェックを行い、あの重苦しいウェットスーツを着用し、まだ少し暖かさの残る海へと向かった。機材を着用した場所からエントリーポイントまで30メートルぐらいの距離しかなかったが、文字通り重荷を背負っての歩行は苦行そのものである。にわかに息切れを起こしながら、ようやくたどり着いた頃には体力の1/3ぐらいを消耗していた。

ロープを伝って海中を進み、一定の深さに達した所でロープを手放す。自分を支えるものは何もなく、まだ水面に近いため波の影響を強く受ける。流されないように気を付けながら、耳抜きをしつつ、1メートル、また1メートル、と潜っていく。インストラクターやバディを見失いことは決してない透明度であるが、美しい青色の世界には程遠い。とはいえ、ソラスズメダイやカゴカキダイなどの色鮮やかな魚が沢山泳いでおり、ダイビングの楽しさの一部を感じることが出来た。他にもボラやクロホシイチモチ、ウツボも見た。大きなテエトラポッドも印象的で、もっと上手くダイビングが出来るようになったら楽しいことは間違いない。セミオーダーでウエットスーツを買おうかな、と帰り道に考えた。