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オペラ入門(許 光俊)

去年の11月ぐらいにヤヴォルカイ兄弟のコンサートへ足を運んで以来、毎月3~5回ぐらいクラシックのコンサートに行っている。どの演奏会もそれぞれ個性があって素晴らしいのだけれども、とりわけ印象に残っているのが1月に行ったクトゥレーロ氏が指揮するウィンナー・ワルツ・オーケストラと、同月に開催された読響 下野竜也氏が指揮するペスト流行時の酒宴の2公演である。ペスト流行時の酒宴についてはそれなりの時間を費やして予習をしたので別の機会にでもじっくり述べたいと思っている。


さて、クゥレーロ氏のチケットを取ったのはヤヴォルカイ兄弟のコンサートで指揮をしていたのとは全く関係なく、その日上演予定の1曲である魔笛の夜の女王のアリアを聞きたいからであった。いきなりオペラ鑑賞に挑戦する前に、有名アリアを生で聞いてみたいと考えていたタイミングと重なったのである。私はオペラについて殆ど何も知らず、とりあえず30代半ばになったら薔薇の騎士でも鑑賞したいな~、と思いつつ機会に恵まれず34を過ぎた程度である。ちなみに薔薇の騎士は日本語字幕付きでYouTubeで公開されているのを知って先日見てみたのだが、年下男性の良さがあまり分からないのと、30代と思われる主人公の元帥夫人が「もう私はお婆さんだわ」と嘆くのと、好きな人を諦めて若い女性に譲る決断に共感できず、何となくモヤっとしたものが残った。役者に憑依型と呼ばれるものがあるように、聴衆にも憑依型があるのである。登場人物の誰かに自分がシンクロしたような状態で鑑賞できなければ、どこまでも他人事でしかない。しかしオペラ作品として非常に素晴らしいので、もっと多くの人に見てもらえれば良いなと思う。

R. シュトラウスばらの騎士 (C. クライバー, 1994年)【全曲・日本語字幕】
https://www.youtube.com/watch?v=NjxDQnBFtuw&t=12s

さて、話を戻そう。オペラ作品と、その作品の元になる原作(文学作品)をいくつかは知っているものの、改めてオペラとは何かと聞かれると答えに窮する。そこで本書、「オペラ入門」である。


■オペラの誕生
オペラは1600年頃、イタリアで誕生した。operaは「仕事」や「作品」などの意味を持つとの事。英語で言う所のworkだろうか。当時イタリアは今の様に1つの統一された国ではなく、小さい国々があり、それぞれに領主や王様が存在した。統治者の中には芸術家の保護・育成を好むものも多く、現在イタリアが文化的に優れているのはこうした歴史的な背景があるからだと言われている。古代ギリシア文化に興味を持つ文化人が増えたのを機に、古代ギリシアの演劇を再現してみようという流れが生じた。当時古代ギリシアの演劇はセリフを喋るのではなく歌ったのではないか、と考えられており、イタリア全土で試作された。数ある作曲家の中でもモンテヴェルディがオペラ創成の一役を担った。


■オペラ黎明期 バロック・オペラの時代
イタリアで誕生したオペラはヨーロッパ中で流行し、イタリアでは歌の美しさが追及され、フランスではフランス語の美しさを活かす歌い方が追及された。いずれも宮廷や宮殿など、聴衆は王侯貴族に限られた。ルイ14世もオペラに魅せられた一人である。鑑賞者を驚かせるような大ぶりな演技、劇的なコントラスト、絶望した直後に神様が登場してハッピーエンドになる荒唐無稽なストーリーはバロック・オペラと呼ばれた。しかし、モーツァルトの登場により、大ぶりでないオペラも作られるようになる。彼の作った音楽がとても軽快なように、オペラもまた等身大のストーリーなのである。彼の作品「フィガロの結婚」「魔笛」は毎年どこかで上演されているので、機会があれば見てみたいものである。また、ドイツ・オペラ最初の傑作を作ったウェーバーも忘れてはいけない。魔弾の射手も魔笛と同じぐらい日本で目にする機会が多いように思う。


グランドオペラの登場 宮殿から劇場へ
フランス革命を機に、市民の台頭が見られるようになりオペラもまた変わらざるを得なかった。これまで王侯貴族を主な観客としていたオペラであるが、徐々に市民の物として根付いていくのである。それに伴い、聴衆が好むような喜劇や見せ場の多い悲劇が増えてきた。しかし、パリ市内に劇場は増えたものの、何が上演されるかは政府の検閲があった。マイアベーア、アレヴィが活躍した。


■オペラ百花繚乱
17世紀に誕生したオペラは19世紀に入り、豊かな実りの時期を迎える。ワーグナーシュトラウス2世、プッチーニリヒャルト・シュトラウス達の登場である。バロック・オペラ以上にバロック的な過剰の人ワーグナーは今なお熱心なファンが後を絶えない。人柄に問題があり、社会的にも良くない影響を与えた彼であるが、「さまよえるオランダ人」「ニーベルングの指輪」「パルジファル」などの大作を残した。ちなみに私は日清カップヌードルのCMでワルキューレの行進が使われていたのが記憶に強く残っており、ワーグナーといえばカップラーメンの曲の人、という位置づけである。カップラーメンの曲の人であるが、ここまで熱心なファンに恵まれる氏の作品を1度ぐらいはきちんと鑑賞したいと思っているので、今年上演されるマイスタージンガーには足を運ぶつもりである。たぶん。

しばらくはワーグナーのような重厚、壮大、悲壮的な作品が多く作られたが、19世紀半ばになるとその反動として軽やかで滑稽で娯楽性が高い作品も作られるようになってきた。ワルツで有名なシュトラウス2世の「こうもり」、オッフェンバックの「ホフマン物語」などが挙げられる。ホフマン物語もほぼ毎年日本で上演されるので、どこかのタイミングで見に行く予定である。また、ワーグナーと同じぐらい人気のあったプッチーニも忘れてはいけない。「トスカ」「トゥーランドット」「蝶々夫人」「マノン・レスコー」などが有名で、繊細さと儚さが作風として紹介されている。マノン・レスコーは小説で読んだが、登場人物はそこまで多くなく、物語が淡々と進んでいくので編集しやすいだろうなぁ、と思った。そこまで関心は無いが、安いチケットがあれば1度ぐらいは見てみたい。また、ワーグナーの次にドイツ・オペラ界を沸かせたのがリヒャルト・シュトラウスで、「サロメ」「エレクトラ」そして冒頭の「薔薇の騎士」が知られている。


■時代を反映した現代のオペラ
時は過ぎて20世紀、まさに激動の時代である。かつて強烈な社会主義国であったソヴィエトに生まれたショスタコーヴィッチは豊かな才能に恵まれたがその作品は政府から賞賛と批判を繰り返し受け、苦労が絶えなかったという。しかし代表作「ムツェンスク群のマクベス夫人」はヨーロッパで高く評価され、アメリカでも上演された。また、バレエ曲「春の祭典」で知られるストラヴィンスキーもオペラを作っている。新約聖書にインスピレーションを得た「放蕩者のなりゆき」は救いのない物語で、「なぜこのシーンでこの音楽?」と観客に一瞬疑問を抱かせるが、かえって効果的な役割を果たし、儚さやもはや手遅れなのに足掻く人間的なさまを描いている。大戦を経験し、「人類とは何か」と考えたからこそ誕生した作品だろうか。かつてオペラは物語から着想を得ていたが、20世紀になって世の中を取り込むようになってきた。原爆の開発を命じられた博士たちの苦悩を描いた「原爆博士」(アダムズ)も必見である。


■一度は本場で
本書では様々なオペラ作品が紹介されているが、許氏は徹頭徹尾「本場で見る事」を推奨している。海外でスシを食べた外国人が来日せずにスシの旨さを語ることに違和感を持つように、オペラが好きならヨーロッパで2~3作品見なければ本当の良さが分からない、という理由だ。さすがにヨーロッパとなると旅費が高すぎるのと長期休暇の取得が難しいのですぐに行けるわけではないが、もし日本でオペラを見て気に入ったのなら、氏の言う通りにバックパッカー旅で行ってみるのも悪くないかもしれない。勤め先でオランダ本社への出張のチャンスを貰うのが一番懐に優しくて理想的ではあるが、これはかなりハードルが高そう。ともあれ、自分で行くにしろ本社出張を狙うにしろ、英語ともう一つぐらい外国語を学んでおく必要がありそうだ。今年はもう一度ドイツ語でも始めようかなぁ・・・。