Beauty & Chestnut

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ストレートな物言い論

世の中には、なんでそんな開けっ広げでストレートな物の言い方をするのだろう、とこちらを悩ませる人がいる。かくいう私もその一味なのだが、決して横着な性格だから、というわけではない。

思うに、ストレートな物の言い方をする人には2種類のタイプがある。ひとつは極度にさっぱりしている性格の人。さっぱりしている人というのは、相手もさっぱりしているものだと思っていることが多い。良くも悪くも単純である。人当たりがよければ正直な人だと評価され、そうでなければ人の心が分からない人だと評価される。単純であるから、あまり思慮深くない。デリカシーに欠ける発言も時折見かけられる。しかし、裏表がないので良い。(いいかえれば悪意があっても表に出してしまう不器用な性分である。こういう人は付き合うのに少々労力を要する。)

もうひとつは、相手に配慮して、発言から余分な解釈の余地がないように(なるべく)シンプルに言った結果、ストレートな表現になってしまった場合である。言葉は意思疎通のツールであるが、そもそも言葉というもの自体、比喩のようなものである。たとえば、「愛」という言葉から、私たちは多義的な意味を読み取る。私が思う「愛」と、別の誰かが思う「愛」は共通点こそあれど、それぞれ別個の解釈・意味を持っている。伝えようとする意思そのものも抽象的な存在である上に、それを言葉という比喩で表現するからなかなか大変である。だから、言葉という比喩でさらに比喩(直喩・隠喩)を使い、それを解釈できる能力というのはよく考えれば大変高度な機能といえる。

ここまではストレートな物の言い方をする人について述べたわけだが、通常の会話においても、意識せずに高等なことをやっていることが分かる。たとえば、発言の長さに関して。発する言葉は短すぎてもいけない。かといって、長すぎてもいけない。会話というキャッチボールの過程で自分のこれからする発言に対して可能な限り推敲を重ね、中庸を見出す。相手の言いたいことを読み取り、何かそこに違和感があれば言葉の構造まで意識する。

一方で、私の言いたいことが伝わらないこともある。私自身も相手の言いたい事を完全に理解するのは難しい。バックグラウンドが違うので言葉の読み違いによる誤解が生まれるのは当然の事だ。想像力(もしくは高速な処理能力)を用いて適切な解釈を行えるのが望ましい。私は専門家でないが、言語理解の障害にたいする理解はまず、自分の行っている言語理解(の仕組み)について知ることだと思う。

何気ないことって、実は全然何気ないことではない。