Beauty & Chestnut

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ツキミモザ (ヨシエ)

ハギレを用いた大変美しい絵本である。子供向けのものであるが、とても内容が示唆に富んでいる。

あらすじ
最愛の母を亡くした主人公は、広い世界で一人ぼっちになってしまった。そんなことにはお構いなしに世界は今日もにぎやかで、一人取り残されたような気がした。目を閉じてまぶたの裏に映るのは母がいた楽しくて幸せな毎日で、自らその思い出の世界に閉じこもってしまう。これは、「壊れた時計を見ているようだ」という比喩で表されている。壊れた時計=止まっている=現在ではなく過去ばかりを見ている、という意味なのだろう。だけど本当は一人ではなく、彼女を見守る存在があり、彼女が一人で泣けるように気遣いしつつ、望めばいつでも歓迎し、彼女のための居場所を用意して待っている。ある日、目覚めたとき、やはりいつものように一人だったけれど、彼女はそんな暖かい存在に気づく。その瞬間から、世界は美しく見え、彼女は彼女を待つ存在の元へ向かう。

「世界」という言葉を定義するのは難しいが、今思いつく限りで2種類ある。一つはシステムによって形成され、従うべき「ルールの世界」と、もう一つはその時の気分によって「感じる世界」。

たとえば、サラリーマンはサラリーマンの世界のルールに従い、経営者は資本主義の世界のルールに、あと何があるか分からないけれど、それぞれが求められている役割に沿って世界を生きている。(今ホットな話題の派遣切りの討論がどことなく的を得ていないのは、派遣者の世界と経営者・経済の世界の二つの視点から語られていないからだろう。) サラリーマンの世界の常識は、セレブの世界の非常識であることもある。どれが正しい、なんて解は存在しない。

もっと小さな世界で言えば、たとえば失恋したとき、世界は暗い。極度に落ち込んだときなど世界なんてどうでもよくなる。しかし一方で、全てが順調に行っている人にとって世界はとても美しく、あたかも自分を中心に動いているような錯覚にさえ陥ることもある。こちらが本書の扱う「世界」である。ちょっと見方を変えただけなのに、全く違って見えてくる。誰かの何気ない一言、ふとした拍子、何かの本から得たインスピレーションなど、キッカケや機会はそこらへんに転がっている。どれだけそれに気づけるか、である。世界から目を背けた瞬間、私たちの思考は進化しなくなる。成長し続けるためには、常に探し求めなければならない。そして、たとえ悲嘆に暮れていたとしても、その世界は絶対不変のものではないという希望も忘れてはならない。