Beauty & Chestnut

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森を形成する多様性

仕事中、Perlの文法を調べていたら植物生態学者のサイトにたどり着いた。その学者さんは研究に使うプログラミングをCGIで行っていて、それをサイト上で解説しているようだ。肝心のCGIの説明の方は難しくてあまりよくわからなかったが、彼の本職である植物生態学についての記事がなかなか面白かった。

森というのは、多様性に満ちた所らしい。たくさんの種類の木が、それぞれ共存している。生存競争の原理から考えれば、一番強い種類が森を支配してしまいそうな気がするが、実際はそうではないらしい。「森」というものをじっくり観察した事が無いので、てっきり少数が広域を支配しているものだと思っていた。(もしかしたらそういう森も存在するのかも知れないけれど。)

どういった条件の下で、この多様性が成り立つのかを研究するのがライフワークのようで、個人的にこれからに期待している。ところで、木々にさえ共存が可能なのだから、人間社会だって共存可能ではないだろうか。「そりゃあ、木は争わないからだよ。」と思われるかもしれないが、どの植物だって常に生存競争を行っている。一見平和な花畑も、子孫を残す戦略に満ち溢れている。むしろ、思いやりとか相互扶助の心を持っている人間のほうが、よほど優しいのではないだろうか。(もちろん、いろんな考え方を持った人がいることも把握しているけれど。)

アントニオ・ネグリというイタリアの思想家の著書に、「未来派左翼」というものがある。今読んでいるところなので、まだ全体は把握していないが、既成の左翼を否定し、グローバル民主主義の実現の可能性と方法を模索している(と思う。たぶん)。

私はどうも、右翼と”名乗っている”人たちの活動には一部懐疑的である。問題点を”必要以上に”強調しすぎではないだろうか。かといって、私は左翼になろうという意思はなく、思想そのものの扱い方が今一度問われなければならないと思っている。というのも、右翼だから左翼を否定したり(その逆もまた)、思想そのものに支配されすぎて、対立する(ように見えているが実際はそうでもない)立場の意見に聞く耳も持たず、祭りの如くバッシングする姿は如何なものだろうか。お金は手段であって目的ではないように、思想もまた手段(理想と実現への意志)であって、思想自体にとらわれて支配されてはいけない。もちろん、そういった人はごく一部であるが、見ていてあまり良い気分ではない。

私の”共存への意志”が、「緊張感に欠けている」とネガティブに評価されるのではなく、どう実現させるか考える前向きな考えとして受け取ってもらえたらな、と。そろそろ韓国・中国に対する過剰な悪意に基づくバッシングが無くなれば良いのに。