Beauty & Chestnut

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音楽と私

今月は珍しく残業が続いている。フレックス出勤という、(残り少なくなってしまった)有給休暇よりも大事な既得権を喪失してしまい、毎朝規則正しく8時半出社をしているが、早起きは三文の損失である。というのも、勤め先の隣のビルで売られているエスプレッソがとても美味しい。すっかり、開店の9時に駆け込んで300円のコーヒーを買う習慣が身についてしまい、当分この習慣は取れそうに無い。コーヒーの香ばしい匂いが、口に含むと忽ち広がるエスプレッソの苦味が、眠い朝には欠かせないのである。

昼過ぎぐらいに再びやってくる眠気に耐え、帰宅する頃にはすっかり疲れている。相棒のiPhoneで、出社するときはアップテンポの曲を聴き、帰宅時には何かクラシックを聴く。そういえば最近音楽の好みが変わった。以前はドビュッシーやサティを聞いていたが、最近はラフマニノフハチャトゥリアンがとても良く感じる。疲れていると、なぜか異様に感性が研ぎ澄まされることがたまにある。ヘッドホンから流れてくるハ短調が全身に染み渡って、何かが目覚めるような感覚に襲われる。

ドビュッシーやサティの音楽は、霞がかった景色が頭の中に喚起されるが、ラフマニノフのピアノ協奏曲、とりわけハ短調は劇的である。何か偉大なものが、突然目の前に現れたような気持ちになる。ハチャトゥリアンは、最近スケートで仮面舞踏会という曲が使用されて、ちょっとポピュラーになった。これを聞きながら歩いていると、足が三拍を意識してしまう。もちろん、リズムは譜面の外に出てしまうと、三拍であろうが四拍であろうが、第三者にとっては同じである。が、気分はワルツなのである。タンタンタン、とステップを踏む。

そういえば、小学生の時、デアゴスティーニ社から毎週だったか隔週だったか忘れてしまったが、歴史的音楽家のエピソードや楽曲を紹介した小冊子と、代表曲の入ったCDがセットになったものが発売されていた。小学校の前にあった小さな文具店でも、それは売られていて、一緒に通っていた女の子が毎回買っていた。たしかモーツァルトの特集号が、かなり早い段階で発売されていたのを覚えている。本に何か付録がついているのに興味を持った私は、彼女につられて最初の2、3号は買っていたが、あまり音楽に興味がなかったのですぐに飽きて買わなくなってしまった。

私は3歳の頃からピアノを習っていたが、そのほとんどは苦い思い出ばかりである。とにかく、先生は厳しいわ、母親も厳しいわ。(ちなみに母親はピアノの名手でも、音楽の知識が豊富でもない。怒られた後はいつも理不尽な気持ちであった。) ピアノに関して言えば、ほとんど人から褒められたことが無い。唯一自慢できるのは、その教室で先生に怒られて泣かなかった生徒は私だけである、という事ぐらいだろうか。当然、楽しくなかったので、音楽に興味を持てなかったのは仕方のない事だと、自分を弁明してみる。

高校生ぐらいの頃に坂本龍一を聞いて、初めてピアノの音が良いものに思えた。確か、戦場のメリークリスマスだった。ただ漠然と、音楽ってすごいなぁ、と思った。ポップスとは違うクオリアがある。その後、教科書に出てくるような有名どころを大雑把に聞いてみて、ドビュッシーとサティ辿り着いた。サティの音楽を聴いていると不思議な世界観が展開される。そういえば、ドゥルーズの著書を読んでいるときの感覚に似ている。両者共、つかみどころがなく、流動的で、部分にとらわれているとあっという間に本質を見逃してしまう。

ラフマニノフの音楽を哲学に喩えると誰だろう。
眠くなってきた。今度探してみよう。