Beauty & Chestnut

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現代アート入門の入門 (山口 裕美)

現代アートといえば、何を思い浮かべるだろう。洗濯機にかけられた新聞紙や、コップに立てられた歯ブラシ、または、なんかよくわからないカラフルな抽象画、もしくはただ一色で塗りつぶされたキャンバスといったところだろうか。そういったイメージから、現代アートは難しい、と言われている。実際に現代アートの展覧会に何度か足を運んでみたが、正直なところ、解説がなければ作者の意図がわからないものが多い。西洋画のような鑑賞法が確立していないため、いざ対面するとどうしたらよいかわからなくなり、こちらの柔軟さが問われる。そういった自由さに、私は現代アートの楽しさがあると思う。同じ対象でも、その日の気分によって受ける印象がずいぶん違ったりする。そして、先に述べた、くしゃくしゃの新聞紙やコップに立てられた歯ブラシがアートになるという感覚が、日常生活にも彩りを与えてくれるような気がする。要は、見方を変えればつまらないものでもアートになる可能性を秘めているのだ。なので、私の乱雑な机の上も、「知的な小宇宙、または堆積された人類の英知」として、十分にアートなわけだ。(違いますね。本が山積みにされただけの机ですね。)

本書は村上隆のHIROPONという、秋葉で売られていそうな美少女フィギュアがニューヨークのオークションで、38万ドルという高額な値段で落札された事件から始まる。日本のメディアでは「おたく文化が世界的に評価された」という一報で終わってしまったが、これはアート界の一大事件である。同時に出展していた日本人アーティストの作品も、HIROPONほどではないが高額で落札され、日本の現代アートが世界に注目されるキッカケとなった。しかし、若手アーティストをとりまく環境は決して恵まれているものとは言えない。日本人が西洋の絵画にしか注目せず、若手の育成にあまり熱心でなかったり、貸し画廊というシステムがアーティストの財政を圧迫していたり、なかなか不遇なものである。そういった環境を変えようと、著者はウェブサイトを通して作品を紹介したり、ボランティア活動を行ったりしている。

さて、フランスの哲学者、フェリックス・ガタリが「21世紀は美学の時代である」という言葉を残している。20世紀までは科学の時代で、科学的思考は必ず問題の解を出すことが要求された。美学的な思考は解を出すことに価値を見出すことはせず、その過程を重視する。たとえば、アーティストは作品を作る途中で何かしらの予期せぬことに出くわす。彫刻だったら素材に亀裂が入ってしまい、予定通りに進まなくなる。しかし、そのハプニングを逆手にとって、より高みへと作品を作り変える。こうした柔軟さを、ガタリは重要視したのだろう。(個人的な意見だが、確かに20世紀は科学の時代だったと思うが、解は出ていないと思う。むしろ、問題提起されたのではないだろうか。環境問題、紛争、飢餓、貧困といった問題の解は、20世紀には出されていない。)

アートを鑑賞するポイントは3つある。まず一つ目。西洋絵画は、時間は左から右へ流れる。受胎告知などを見ればわかるが、左には受胎を告げるガブリエルが、右側にはマリアが配置されている。人生を四季に例えた絵画なら、左から春夏秋冬の順番となる。美術館が時計回りに観客を誘導する仕組みになっているのも、そういった理由からである。そして、これは国内で鑑賞できる現代アートにも踏襲されている。次に、筆跡を読むこと。大きな絵画であれば、背景が縦向きに塗られている箇所と横向きに塗られている箇所があり、作家の身長が推定できたりする。また、色の重ね塗りを見てみると、正反対の色が下地になっていたりして、製作過程を窺うことができる。そういったちょっとしたことで、アーティストとの距離がぐっと縮まるように感じる。そして三つ目は、作品説明とカタログは作品を見てから読むこと。これにより、先入観を持たずに作品と対面することができる。自分なりに解釈することを楽しまなければならない。解説による鑑賞者のイマジネーションの正誤判定は、その後でよい。これらが、現代アートを楽しむための、ささやかなコツである。

最後に一人、紹介したいアーティストがいる。本書にも登場し、今なら森美術館でも作品を鑑賞することが可能なアーティスト、トレイシー・エミン。(ちなみに、入り口付近に「I dream of sleep」という彼女の手書きの文字をネオン管にしたものが設置されている。)彼女の表現するものは、自己の内面そのものである。学校時代のいやな思い出や、恋愛経験などを、ドローイング、刺繍、ネオン、パフォーマンスなどで過激に表現する。一大センセーションを呼んだ「Everyone I have ever slept with(栗野訳:今までに私と一晩過ごした人たち)」という作品は、彼女が関係を持った男女の実名をアップリケにしてテントに貼り付けたもので、彼女はメディアに「最低のアーティスト」として評価された。しかし、自己の内面をさらけ出すのは、ある種の覚悟が必要だ。そして、その作品を見た人に、何か考えさせるものがあれば、それはもう、立派なアートとして成立していると私は思う。

さて、もし私が彼女と同じ事をやったら、あなたはプライバシーの侵害として訴えますか?
そう、そこのあなたですよ。○○さん。