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白川静 漢字の世界観 (松岡 正剛)

平凡社の非凡な新書である。そして、驚いた。白川静さんの名前は至る所で拝見していたが、まさか男性だったとは思わなかった。届いた本の帯に掲載されている白川氏の写真は、どうみても温厚そうな”おじいさん”である。哲学者のような風貌。静、という名前から、女性の学者さんだとばかり思っていた。これは、名前に対する偏見であろうか。それとも、漢字に対する無知からであろうか。

白川静さんは、遅咲きの人だと言われている。しかし、遅くても咲いたその才能は、どこまでも深遠で、はるか高みの方に存在する大輪の花のようだ。生い立ちを簡単に説明すると、1910年4月、福井市で生まれた。9人兄弟の6人目である。家はあまり裕福ではなく、アカデミーからは遠いところで育った。小学校を卒業し、姉を頼って大阪の代議士の事務所で、住み込みで働くことに。いわゆる、丁稚奉公である。そこの代議士が、色紙に難しい漢字を書くのが好きだったらしく、それがキッカケとなり、漢字に興味を持つようになった。

そうはいっても、住み込みで働く身であるので、自由な時間はあまり持つことができず、夜間学校に通わせてもらい、夜な夜な漢籍の勉強に努めたらしい。あまり体が強くなかったので、学校も欠席しがちになり、一旦福井の実家に帰省する。しかし、漢籍への情熱を捨てきれず、再び大阪に戻り、夜間の学校に編入する。中学の教師になり、生涯にわたって読書をつづけよう、という強い決意をもった再挑戦である。卒業する頃には、万葉集詩経という、日本と中国の最古の古典に挑戦しようという意思もあった。その後の活躍はあまり目立たなかったものの、その成果はいまや文字学や白川学として、漢字の世界に大きな影響を与え続けている。

人間がどのように言語を使うようになったのかは、まだ明らかにされていない。しかし、最初は身振りから始まり、口頭でのやり取りを経て、簡単な図表や図象を元にしながら、文字や記号や数字が誕生したと考えられている。文字には行為や出来事を記録する機能があり、それによって時間が経っても、元の意味する事を再認識することが可能となる。言語は音声と文字の二つによって発達してきた。そして、コミュニケーションが発達し、言葉は次第に力を持つようになる。

文字に込めた原初の働きのことを、白川さんは「呪能(じゅのう)」と名づけた。エジプトのヒエログリフメソポタミア楔形文字など、多くの古代文字が時代とともに廃れてしまったが、その中でも漢字だけが古代からの「呪能」を持ち続けている、と白川さんは言う。漢字には、私たちが忘れてしまった多くのことが、記録されている。そして、それらを理解するためには、漢字の正しい成り立ちを理解しなければならない。

漢字が今もなお、生き続けているのには、二つの理由が考えられている。まず、中国という風土と民族が文化的な敗北を経験してこなかったこと、もう一つがその言葉を表記する方法として代わりのものを用いてこなかったこと。また、漢字同士に法則が存在する。これを「秩序の原理」や「融即の原理」というらしい。このように、漢字自体が継続して使用され、そして不滅の機能を持っている。

漢字は、漢の時代に生まれたから漢字という。なので、漢字学は中国の文化学の一環だろうか。白川さんは、「漢字は国学である。」と主張する。日本人にとっての日本語である。中国からの輸入であるが、音訓両用として使いこなした日本では、それがそのまま国語となった。この主張に関して松岡氏は、「実に明快である」と絶賛している。(私も、まぁ賛同である。個人的には万葉仮名あたりから国語と認定したい。) 白川さんが他の漢字を研究している学者と一味ちがうところは、日本の古代文化と中国の古代文化の両方に精通しているところからくる、ある種の繊細さと、柔軟な解釈力だと思う。事実、彼の功績は漢字の解釈として常識とされていた事実を何度もひっくり返している。そして、彼は「日本」と「中国」というものの見方ではなく「東洋」としての視点を持っていることが何よりも大きい。彼から学べるのは漢字の意味と歴史だけではなさそうだ。本書は満遍なく、白川さんという人物と彼の功績の一部を紹介している、とてもよい入門書だった。

さて、私も白川世界へ旅立とう。