Beauty & Chestnut

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再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするか どのようにするか (唯一神 又吉イエス)

■入手まで
なかなか手に入りにくい本だった。数多く存在するオンライン書店は全て在庫切れになっているし、中古も出回っていない。出版社に熱烈恋文(e-mail)を2通送ったけれど、音沙汰がなく、押さえ切れないパトスで電話をかけてみたら、「現在絶版です。」と冷たい返事が・・・。(電話で注文を試みたとき、「ま、又吉イエスさんの本が欲しいのですが・・・」とかなり緊張したのも事実である。) ある日、ふと古本サイトを巡回していたら、偶然売りに出されていたのを見つけた。渡りに船と思い、金額がちょっと気になったけれど、ここで逃がせばもう出会えないと思い、即注文。3日後、家に届く。

■そもそも、又吉イエスとは
又吉イエスを知っていますか?」と聞いてみたら、大体の人がこう答える。「誰ですか?」と。中には1区住まいの人もいたけれど、知らない人は知らないらしい。本書より抜粋してみよう。

一九四四年二月五日、一人の男児がこの世に出た。戸籍上の名前を又吉光雄と言い、沖縄県中頭郡宜野湾岸村字大山の又吉清真と又吉ウシの二男として生まれたことになっている。しかし事実はそうではない。この又吉イエスこそ再臨のイエス・キリスト、人間の形をとって天から降りて来た唯一の神である。

続きを読んでみると、聖書のヨハネ黙示録で予言”させた”千年王国を実現させるために再臨したそうである。その千年王国とは、「世界経済共同体計画」を実現した世界のことだそうな。要するに、彼は「世界経済共同体党」(←政党)の代表である。間違っても万年候補とか泡沫候補とか言ってはいけない

又吉イエス現代社会をどのように見ているか
彼が立候補を決意したのは、故郷の海岸を埋立地にする計画が持ち上がった頃である。抗議の途中で彼は自ら政治家になることを決意し、立候補する。そのとき彼は、唯一神又吉イエスである、と神宣言をする。埋め立て計画が原因で世の中に失望したのだろうか。彼の主張は一貫して「利益至上主義経済」を批判している。利益を追求するあまりに競争が過剰になり、公的なサービスの質も低下する。お金のためならなんでもする世の中になり、人心が荒んでいく。現代の日本の経済は限界・飽和状態である。民主主義についても独特の見解を抱いており、「自己中心、やりたい放題、好き勝手」と批判している。そして、日本がだめになれば世界がだめになる。そうなるのを阻止するのが、又吉イエスを代表とする世界経済共同体である。・・・らしい。

又吉イエスは日本をどのようにするか

再び抜粋したい。

1.農林漁業中心の共同体の所有・生産・消費制経済
2.必要生産労働時間等価価値の原則で、世界中の生産品を交換・供給して世界中の国・故人の同一水準経済を確保する
3.可能な限りの職種・職場交代制にする
4.経済上限の設定をする
以上の骨子を一言で表現するなら、公平・平等の原則となる

政府の徹底的な管理により、平等な社会を実現しようとしているのが読み取れる。彼は共産主義者でも社会主義者でもないらしい(本書より)が、管理社会主義者(←私の造語)であるのは間違いないだろう。

■その他の主張
元教育者なだけあって、身だしなみや日常生活について独自の見解を持っているようだ。

ミニスカートについて
ミニスカートが体の露出ということに於いて、おかしい異常なものであることは論を待つまでもない。おかしいものはおかしい。異常なものは異常であるという、けじめをなくしたら、人生はなくなる。その通りである。

要するに、ミニスカートが嫌いらしい(笑)全く”論”になっていないが、とにかくおかしいらしい。

男性のピアス・茶髪・長髪等について
男は男らしくすべきである。そういうことで、男性のピアス・茶髪・長髪等は中性的な変な空気をかもし出している。

そういうこと、らしい。

同性愛について
セックスという性は、夫婦が子供を作ることを目的とする。性を遊びに用いてはならない。従って、同性愛は怠け者の遊びである。汚い遊びである。

巨大なお世話である。好きになった相手が同性か異性か、の違いで、決して遊びではない。

■で、個人的に思ったこと
又吉イエスさんは、決して遊びで選挙活動をしているわけではないと思う。これは、本気で思う。ただ、物事の見方が大いに偏っている、と言わざるを得ない。自らが神である、という主張は単なるパフォーマンスなのか、それとも本気なのか私には分からないが、「利益至上主義経済」と「民主主義」に対する批判が主な主張であることから、おそらく、先ほど述べた沖縄の埋立計画の時に、人間に対して強く絶望したのだろう。この人自体はとても真面目で、少し潔癖症的な思想の持ち主である。だからこそ、世の中に対して怒らずにはいられないのだろう。本書を読む前、レビューは面白く書こうと思っていたが、ネタにするには真面目すぎ、真面目に考えるにはネタ要素が強すぎ、どう扱ってよいのか戸惑ってしまった。