Beauty & Chestnut

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クマにあったらどうするか (語り手:姉崎 等 / 聞き書き:片山 龍峯)

最近は聞かなくなったが、私の自転車の師匠はよくクマの話をしていた。クマにあったら逃げてはいけない、とか、もし対面したら自転車を持ち上げて自分を大きく見せるように、とか熱心にクマ対策を練っているようだ。クマが出るほどの山奥を走れるようになってこそ、一人前のサイクリストなのかも知れない。私は動物園でしか見たことが無いが、あの巨体が木の間からひょっこり出てきたりしたら、これまでの人生が走馬灯のように駆け巡ること不可避である。しかし、よく分からないものを必要以上に恐れるのは良くない。いつかクマの本でも買って読んでみるか、と思っていた頃に書店でたまたま見かけたのが本書である。


可愛いクマさんの絵と「アイヌ最強のクマ撃ちが残した最高のクマの教科書」という強面な文言の帯のミスマッチ感から、一体何の本だろうと思って手にした。小説?登山エッセイ?何かのノウハウ本?この表紙のデザインをした人は多分確信犯である。誰もが見かけたら手に取らずにいられないだろう。目次を見ると、狩人の姉崎 等さんのライフヒストリーや人とクマとの関係、クマの生態やクマにあった時の対応方法、共存していくための案などの多様な切り口でクマについて語られているようで、確かに帯にある「最高のクマの教科書」というのは伊達ではなさそうだ。迷わず購入し、その日のうちに読了した。


■姉崎 等さんとは
姉崎さんは1923年に鵡川村で生まれた。アイヌ民族の母と福島から来た駐屯兵の父を持ち、8歳の頃にアイヌ民族の集落に移動してきた。12歳の時に父を亡くし、家族を養うために狩猟を始めた。誰よりも早くから仕事を始め、大人と変わらない収入を得たという。そのあとは板金屋で奉公したり、兵役に出たり、彫刻の仕事をしたりと激動の日々を過ごす。再び山へ入るようになったのは25歳の頃で、結婚をして妻の入院費を稼ぐ必要があったからである。どんなにつらくても健康で働けることは幸せだ、と自分を励ましていた。

私はよく言うんです。クマより怖いのは貧乏だよって。クマやお化けが怖いって言う人は、まだ余裕があるんだって言うんですよ。私にはそんなことを言う余裕がなかった。貧乏の方がよっぽど怖いんですよ。(P.33)

クマ猟を始めたのはしばらく後の事であるが、クマを追ううちにその行動を倣うようになり、山の歩き方や地形の選び方をクマの視点で考えることが出来るようになったという。山の全てをクマから教わり、生涯の大半を山で過ごした。そして、北海道でヒグマ猟が禁止になったのをきっかけに猟師が減っていき、ついには姉崎さんが最後の一人となってしまった。


■クマの生態、アイヌ民族との関係
そもそもクマとはどういう生き物なのだろうか。ヒトと遭遇するとためらわずに襲い掛かるものなのだろうか。本書によると、クマとは生来おとなしい生き物で、人間を避けて生きているそうだ。肉食ではなく雑食性で、肉よりは植物(ドングリやコクワ)を食べることが多いという。また、クマにも性格があるらしく、顔が長くて頭が張っていない個体は性格が悪いらしい。

アイヌ民族はヒグマを山の神として敬っていた。狩猟は神様を家にお迎えする事と同義であり、山に入る前には必ず山の神様へ祈りを捧げていた。そうすることで自分の心の整理をつけていたという。通常は二人か三人ぐらいで山に入ったそうだが、姉崎さんは単独で猟をした。昔のアイヌの人は、獲物は仕留めた人が権利を持っていて、分け与えることは基本的になかったそうである。また、車が発明される前は獲ったクマは山で解体していたが、日帰りが出来るようになってからはしなくなったという。下山した後にカムイホプニレという魂を送る儀式は長年続けたそうだ。


■クマに出会ったら
さて、ここからが本題である。クマはハンターが何日もかけて探すもので、我々が週末にちょっと山へ入ったぐらいで簡単に遭遇できるものではない。しかし、もしも出会ってしまったら、生還できる可能性を上げるために知っておいて損は無いことがいくつかある。姉崎さんのおすすめの10か条の中から特に大事だと思われる箇所を抜粋したい。

・背中を見せて走って逃げない。
・じっと立っているだけでもよい。その場合、身体を大きく揺り動かさない。
・腰を抜かしても良いから動かない。
・にらめっこで根くらべ。
(P.276)

とにかく動くな、の1点に要約できそうな気がするが、じっとしている事の大切さが伝わってくる。ヒトがクマの存在に気づいていない場合、向こうから警告音を出してくる事があるそうだ。地面をたたいて「バーン、バーン」という音が聞こえたら注意である。運悪く齧られることになっても、あきらめずに反撃するように、とのこと。思わぬ逆襲に驚いて逃げて行った例もあるそうだ。


■クマと人とのこれから
昔はクマと人の生活域は異なっていたが、山の木が伐られてクマの餌にならない針葉樹が植えられるようになったり、アウトドアブームで人が山に入るようになるにつれ、接触する機会が増えてきた。やがて駆除の対象となり、絶滅危惧種へと変わっていった。北海道では「防除」という「駆除ではなく、山へ追い返す」方向へ動きつつある。姉崎さんはクマ猟をやめてからは防除隊員としてクマと関わり続けた。そして、クマと共存するためにはヒトが絶対に立ち入らない地域を作った方が良いと言う。クマは約束事を守れても、人間の方は守れないそうだ。本当は山で暮らしたいクマも、針葉樹ばかりで食べ物が無いからやむを得ず人に近いところで暮らしている。そしてそんな親から生まれた子熊は山で生きるスキルを失ってしまう。そんな現状を懸念し、姉崎さんが残した言葉を最後に紹介したい。

やっぱり、「クマが怖い」ものだっていうその言葉が怖いんだよね。クマは本当に怖いのか。子どもたちにおばけが出るよ、怖いよって言ってもおばけが本当に出たことはないんだから。
 だからそれと同じでクマが怖いものだというのはおばけと一緒でその言葉が怖いんです。だからクマが暮らせるようなある程度の環境をつくってやると、クマはそんなに怖くないんだってわかると思う。(P.312)