Beauty & Chestnut

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チェロを習い始めた話

少し前にテレビか何かで今年売れた本の特集のような番組があった。その中で「絶対に映像化が不可能な作品が映画化されました。『蜜蜂と遠雷』です。」という旨のアナウンスがあり、「ふーん、じゃあ先に小説を読んでみて、面白ければ映画見るか」と思っていたものの、週末は地方出張で忙しかったのもあり、小説を読む機を完全に逃してしまった。映画の上映期間が終わりそうな11月上旬に、急いでチケットを買って映画館へ駆け込む。小説を読んでいないので消化不良な箇所が少し残ったものの、ショパンコンクール本戦でオーケストラをバックにピアノを弾くシーンに完全に魅了されてしまい、何か自分も音楽を奏でたい衝動に駆られた。季節は晩秋。冬は趣味のロードバイクから少し遠のくので室内で楽しめる趣味が欲しいと思っていたのと重なり、とりあえず何かクラシックのコンサートにでも、と思った。幸い職場近くにコンサートホールがあったので行けそうな演奏会のチケットを取ってみた。ハンガリーの兄弟が演奏するヴァイオリンとチェロのアンサンブルである。弦楽器に対する憧れは以前からあり、去年はヴィオラに一瞬興味があったが、ハンガリーの兄弟のコンサートでチェロへの興味が沸いた。チェロが習える音楽教室を2か所ほどピックアップし、体験レッスンを受講してみた。

体験レッスンの詳細は割愛するが、最終的には防音室と楽器を1時間1000円でレンタルできる教室に決めた。体験レッスンの先生はどちらも甲乙つけがたいほどであった。楽器の購入は全く未定だったので、廉価で借りられる方が都合が良かった。ひと昔前の音楽教室と言えば、なんとなく音に対する感覚が鋭敏で、ちょっとのミスに対しても神経質に怒られるものという印象が強かったので、大人を対象とした講師のゆったりしたスタンスはとても心地よい。生徒は仕事を持つ社会人で、あくまで趣味として長く楽しく学ぶものだから厳しく指導しないのである。

私は3歳ぐらいの頃からピアノを習っていたが、正直楽しいものではなかった。間違えるとヒステリックに怒り散らす母親に、愛想のないピアノ講師の間に挟まれ、母親が監視していない隙にピアノのある部屋の窓から楽譜を投げ出した事がある。楽譜をクシャクシャにした事も一度や二度ではない。ちなみに、投げ出した後はきちんと回収しに行ったし、クシャクシャにした楽譜は出来る限り原状回復した。ともあれ、長年ピアノは私にとって苦痛の象徴であった。結局中学受験の前ぐらいまで習っていたが、あまりにもやる気がなかったため、辞めさせてもらえる直前まで楽譜にカタカナでドレミのルビを書き込み、レッスンの直前に消すのが常態化した。要するに、最後まで楽譜が大して読めなかったのである。その後しばらくして音楽は楽しいものであることを察したが、何となくピアノに対する敬遠感のようなものは残った。

さて、11月中に2か所で体験レッスンを受講し、12月からきちんと習い始めた。初回のレッスンは構え方やボーイングのレクチャーが主な内容で、2回目も初回の復習とざっくりと第一ポジションの解説、3回目は先生のピアノ伴奏に合わせて譜面をなぞるという内容だった。「来年からは曲をやりましょう」と言うことで2019年のレッスンは終了。防音室と楽器のレンタルは年末ぎりぎりまで出来たので、年内の最終レッスン後に2回ほど借りて教室オリジナルの曲とベートーヴェンの第九の喜びの歌のテーマの箇所を練習してみた。12月にチェロを触った時間はレッスン30分×3回と、自主的に練習した10時間の計11.5時間。第一ポジションから出る音程を耳では理解したが、構え方がまだまだ不安定なのもあり、初回に数回ボーイングをして、「この構え方でこの場所を押さえるとなんとなく狙った音が出る」までにはなったが、座ってからいきなり音を出すと半~1音ずれてしまうのと、疲れてくるとギーギー鳴り出してしまう事、ボーイングの軌道が安定しないという課題が残った。

喜びの歌で移弦が3音続く箇所が一つあり、最後の1音が運指的に間に合わなかったのが悔やまれる。ともあれ、初月としてはこんなものであろうか。左手の人差し指先端の硬化が始まったので、悪くない進み具合である。(カッチーニの)アヴェ・マリアフォーレの夢のあとにや、シシリエンヌが弾けるようになるのは半年後ぐらいだろうか。何度かヴィブラートの挑戦を試みたが、楽器本体も揺れてしまったり右手も連動して挙動不審になったりして、年内には出せなかった。ヴィブラートが出来ないとバラードが決まらないので非常に残念。防音室のレンタルが使えない間は筋トレ、体幹トレでも。YouTubeで小学生がチェロをプロ並みに奏でる動画があったので、私も練習を怠らなければきっと到達できるだろう。表現力は大人の方が経験を積んでいる分有利だし、小学生よりも細かいニュアンスの言語を理解するので講師の指導も理解が早いはず、というのが根拠である。絶対音感はもしかしたら幼少期の意欲ある時期しか身につかないかもしれないが、今はスマホがあれば音階チェックも出来るし、「何が何でも絶対音感」という風潮は多少は廃れているに違いないだろう。

年明けのレッスン初回から「喜びの歌?もう完璧ですよ」とは行かないが、ある程度は準備できているので楽しみだ。今は出したい音色があるので、指が痛くても、思ったほど上達しなくても、練習が全く苦痛でない。来年の発表会はグランタンゴとか憧れるなぁ。