Beauty & Chestnut

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書を読んで羊を失う (鶴ケ谷 真一)

好きな香りがある。夏場の銭湯やちょっとした大型施設などに充満している業務用クーラーの、ちょっとカビ臭いあの香り。夕方近所を歩いていると、どこからともなく運ばれてくる、お惣菜の香り。お洒落なスーツ男性がつけているブルガリの香り。書店の近くまでくるとすぐに気付く、新品の本特有の、まだ何も染み付いていない、紙とインクの混ざった香り。古書は古書で年月の蓄積を感じさせる香りがするけれども、タバコを吸っている人が所有していた本には、やはりタバコの香りがしみついていて、いただけない。他にも金木犀の香りや、仏壇に供えられている線香の香り、書道の墨の香り、木材の香りなど、数えればきりがないけれど、どれか一つを選ぶとしたら、やはり本の香りだろうか。

中学生か高校生の頃だったか忘れてしまったが、古典の授業で更科日記の一部を読んだ。内容は、こんな感じだったと思う。田舎に住む少女が、本を読みたくて上京することを、日夜仏様にお祈りをしていた。しばらくして父の転勤か何かで、その念願を果たす。当時、書物は大変貴重なもので、何か読みたいと思ったら京都に向かうのが一番手っ取り早い方法だった。そして彼女は京都で、一日中書物漬けの生活を手に入れた。確か、授業でならったのは、それぐらいのもので、その後彼女が30歳を過ぎた頃に結婚したり、宮仕えをしたけれど、比較的すぐに辞めてしまった事などは、習わなかったと思う。とにかく本が好きで、内省的で、夢見がちな文学少女が、当時本はライトノベルぐらいしか読まなかった私にとってとても新鮮で、衝撃的だったのを覚えている。その影響を受けて、本屋に行った。そこで例の、紙とインクの香りに出会った。

今でこそ、毎月書籍代に結構な額をつぎ込むような、にわか書籍愛好家的な生活を送っているけれど、更級日記の影響を受けて本屋に通うようになっても、大して本は読まなかったと思う。とりあえず行って、毎回適当に立ち読みして帰っていた。唯一読んだ、ちょっと人前で言えるような本のタイトルといえば、せいぜい君主論ぐらいで、大学を辞めてフリーターをやっていた頃なんて、ファッション雑誌ぐらいしか読んでいなかった気がする。しばらくそういう、立派な書籍とは無縁の生活が続き、とある事情で長期にわたって家族と大喧嘩をしていた頃、お金はないけれど時間だけはたっぷりとあったので、本でも読むか、と思い、ニーチェの「ツァラトゥストラはこう言った」を読み始めた。この本を選んだ理由は特にない。なんとなく、岩波文庫がかっこいいと思っただけである。しかし、何を言っているのかさっぱり分からなかった。それ以前に、自分の基礎的な読解力に不安を感じた。まがりなりにも、高校時代は進学クラスに在籍し、国語の成績は結構良かったはずである。(高校程度の国語は、機械的処理さえ出来れば、あまり読解力を必要としない、とも解釈できるけど。) まずはこの本を理解することから、始めた。通読して大意を把握するのに、1ヶ月ぐらいあれば、十分だった。

本との出合いは、人それぞれだと思う。本との付き合い方も、同じように人それぞれだと思う。私は書評をたまにこのブログで書いているけれど、大体は自分の話をこじつけて語っている。解説なんてしてもつまらないし、そもそも読めば理解できることを、他人のために噛み砕いて説明する気なんて、さらさらない。本とのお付き合いは、他人の力はあまり借りない方が良い、というのが、私のモットーであるから。他人の解説はあくまで参考程度に留めておきたい。

この「書を読んで羊を失う」という本は、鶴ケ谷氏が、氏自身の本との付き合い方を描いている。どんな出会い方をしたのか、ページのめくり方の東西比較、昔読んだ本の話、あらゆる「本にまるわる話」が語られている極上のエッセイである。その圧倒的な読書量には舌を巻く。同時に、自分の読書経験なんて、まだまだ大したことない事に気付き、読書欲がそそられる。そう、世界は広い。まだ出会っていない、すばらしい本もたくさん存在する。つまらないことを気に病んでいる時間があれば、それこそ、更級日記の作者のように、貪り読んで、日常生活で狭くなりがちな視野、価値観、知識などを、広く、そして深めていきたい。