Beauty & Chestnut

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ナラタージュ(島本 理生)

どことなく異国情緒が漂うタイトルと、白いワンピースを着た若い女性が窓の前に立っている瑞々しさと繊細さが混在するような表紙の写真が気になり、手に取ってみた。裏表紙を見ると「早熟の天才作家、若き日の絶唱ともいえる恋愛文学」とあるので何やら凄そうだ、と思って購入した。2年ほどまえの事である。一度読んだ切りでその後書棚にひっそりと埋もれていたが、最近整理していて見つけたので再読した。状況や感情の描写が理性的で白石和文を連想させ、どことなく他人事のように物語が進んでいくが知らないうちに引き込まれた一冊だった。


ナラタージュとは映画用語で回想や語りによって過去を再現する、という意味である。物語は主人公の工藤 泉が婚約者と川沿いの道を歩いているシーンから始まる。ふとした瞬間に、婚約者が泉に「君は今でも俺と一緒にいるときに、あの人のことを思い出しているのか」と尋ねる。泉には過去に思いを寄せる人がいたのだ。高校時代、クラスに馴染めずに「消えてしまいたい」とまで思い詰めていた頃に自分を救ってくれた葉山先生である。先生は親身に相談に乗ってくれて、時には趣味の話もしたりして、いつしか恋心を抱くようになった。卒業の数日前に告白するつもりで手紙を書いたが、結局渡せずに手帳に挟んだままだった。それから数年後、大学二年生になった泉へ葉山先生から連絡があった。自分が顧問をしている演劇部で人手が足りないから来てほしい、と。


約束の日に学校へ行き、葉山先生や同級生、後輩と再会した。演劇部に所属する在校生三人と、OB・OG、同級生の友人四人の計七人でお芝居をすることになった。しばらくは同年代の男女の部活動や恋愛の話が続く中、後輩の柚子という女の子が失踪する。失踪の理由となる出来事は後半に明かされるが何とも悲しい。(小説の中の)ティーンエイジャーというのは、何と繊細で危ういものだろうか。葉山先生と再会した泉は不完全燃焼に終わってしまった先生への思いが再燃する。泉へ思いを寄せつつも、先生には踏み切れない事情があった。理由を知り、失意のどん底へ落とされた泉は自分へ好意を抱いている男性と交際するが、うまくいかずに破局する。葉山先生の元へ戻ろうとするが・・・。それぞれが痛みを抱えながらも、それぞれの道を歩み、その後決して交わることは無いが気持ちは通じている気がして、生命の煌めきのようなものさえ感じられた。でもわずかに、登場人物達が悲劇の主人公を演じているような、自己陶酔間のような物も漂っていた。「え?しがらみを振り切って行動に移さないのはなぜ?今なら違う未来を手に入れられるのでは?」と。


「椿姫」や「情事の終わり」、「武蔵野夫人」と比べると「絶唱ともいえる恋愛文学」としては少し物足りないが、誰もが一度は経験するであろう「もう会う事はないだろうけど、忘れられない恋愛」を描き、恋愛の楽しさ、苦しさを思い起こさせる小説であることには違いない。レモネードのような、酸っぱくて甘くて、チープだけど親しみがあって、どこか懐かしい感じがした。最後に印象に残った個所を引用して終わりたい。それぞれの道を歩み始めた後に、思わぬ形で「諦めた恋」と再会し、痛みを抱えながらも前を向いて歩いていく決意をするシーンである。

これからもずっと同じ痛みを繰り返し、その苦しさと引き換えに帰ることができるのだろう。あの薄暗かった雨の廊下に。そして私はふたたび彼に出会うのだ。何度でも。
周囲の人々が不安げに見守る中、途方もない幸福感にも似た熱い衝動に揺さぶられながら、私は落ちる涙を拭うこともできずに空中を見つめていた。(P.411)

うーん、これが別れの美学だろうか。痛みを伴う感情は甘美なのかもしれないけれど、私は自分が好きなものは無理に理由をつけて諦めたりせず、最後まで好きでいたい。